そのうえ、会社の同僚たちを自宅に呼んだ際はまるで料亭の女将のような振る舞いをさせ、銀座のクラブと呼ぶなど「夫婦関係」と呼ぶにはほど遠い関係性が描かれている。
もはや夫婦の対立描写ではなく、夫婦関係の消失の描写だと受け取ることができる。2人は同じ家に住みながら、すでに夫婦という役割を失っているのだ。
しかし、夫婦の対話の難しさは現代にも通ずる問題であり、決して他人事とは思えない。
この作品の優れている点は些細な不満などの日常描写が極めて精緻に描かれている点だ。センシティブな内容も描かれているが、それに依存するのではなく、ボタンのかけちがいを丁寧に描いているからこそ、夫婦関係の崩壊がより現実的なものとして映るのだ。それゆえ、リアリティを恐ろしいほどに確立している。
誰かが決定打を打つわけではない。ただ、少しずつ会話が減り、少しずつ家にいなくなり、少しずつ別の場所に居場所を作っていく。そして気づいたときには、家族なのに誰も同じ方向を向いていない。
日常の小さな積み重ねが家族内での遠心力につながり、家族1人ひとりが徐々に家から離れていく様子を視聴者はまざまざと見せつけられ、では自分たちは大丈夫なのかと不安になる。
「どんな家庭だって放っておいて平穏無事なわけじゃない」ー1970年代に指摘されていた夫婦の在り方―
仕事に疲れた夫は妻とのコミュニケーションを蔑ろにするうえ、強く当たったり邪魔扱いしたり様子はもはや母子関係のようだと述べた。「夫が仕事で家計を支え、妻が家事で家庭を支える」という放送当時の社会背景を踏まえると、こうした夫婦関係も決して特殊なものではなかったのだろうとも思ったが、そうではないと田島家の長男・繁(国広富之)の担任教師である堀先生(津川雅彦)は喝破する。
「どんな家庭だって放っておいて平穏無事なわけじゃない。努力してそうしてるんだ。家庭の平穏無事なんて脆いものだ」
堀先生は家庭の平穏を維持するには努力が必要だという。
具体的にはどのような努力が必要なのだろうか。興味深いことに、日本の臨床心理学の礎を築いた心理学者の河合隼雄は『岸辺のアルバム』放送の数年後、『家族関係を考える』(講談社現代新書)で夫婦関係について似た問題意識を提示している。内容は、夫婦関係の維持には相補性と共通性のバランスを保つように努める必要があるというものだ。
「(夫婦関係は)共通部分と対立部分との適切な組み合わせによって保たれているのである。もう少し分析的に言えば、夫婦はその共通部分を関係の維持のために必要とし、対立する部分をその発展のために必要としているのである」
夫婦に必要なのは共通部分だけ、ないしは対立部分だけでもなく、その両方を兼ね備えていることが必要であるという指摘だ。これらは自然発生する現象ではない。コミュニケーションを通じてこのバランス感覚を最適化していくことが必要なのだろう。

