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都心から郊外に引っ越して「出席率が急上昇」「五月病も半減」…中大・多摩キャン移転で起きた変化と、再び都心に戻るワケ

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ヒルトップ隧道
異世界への入り口感がすごいヒルトップ隧道。異世界ではなく中大多摩キャンパスにつながっている(写真:筆者撮影)
  • 松本 史 フリーランス編集・ライター
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しかし、多摩へ出ていく際は、東京都の価格引き下げ勧告に泣かされた中大が、多摩から戻ってくる際は、その東京都の土地に救われることとなった。なんとも皮肉なものである。

茗荷谷キャンパス。建物内には大塚地域活動センターなど、文京区の施設もいくつか入っている(写真:筆者撮影)

中大は東大になりたかった!?

多摩に移転しなければ、中大は早慶に匹敵する人気校になっていたのではないかという言説を時々見かける。ともに神田カルチェ・ラタン闘争で闘い、駿河台に根をおろし続けてきた明大が、今はMARCHでトップ人気を誇る現状を考えれば、あながち間違っているとも言えないだろう。

明治時代、中大がまだ東京法学院という専門学校だった頃、専門学校令で大学となるにあたって名称を変更しようという話になった。学内で話し合った結果、決まった案はなんと「東京大学」。その当時、東大の正式名称は東京帝国大学だったが、通称は東京大学だったので、もちろん文部省は却下した。

これは史実かどうかはっきりしないと『中央大学140年のあゆみ』にはあるが、その際に官僚から「貴校は平将門になるつもりか?」と言われたエピソードがある。新皇を自称し、朝敵として討伐された平将門を引き合いにして批判したわけだ。「東京大学を名乗るなど図々しい」といったところか。

当時、なぜ「東京大学」という案にしたかは定かではない。勝手ながら、筆者は「東京を代表する大学になる」という決意の表明だったのではないかと考えている。再び戻ってきた駿河台で、それは果たして実現するのか——。

都心回帰した初年度の法曹コースの学生が、今年から駿河台キャンパスで学び始めている(写真:筆者撮影)

金曜日の夜、人々が家路を急ぐ中、駿河台キャンパスの窓々には明かりが灯っていた。そのゆらめく光は、中大が駿河台に上げる復活の狼煙なのかもしれない。

【前編はこちらから】「教室が混みすぎて雀荘に避難」「図書館は朝7時から並んで席取り」…学生から不評だった「中大・駿河台キャンパス」の青春
 

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