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ライフ #秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像

荒木村重だけではなかった!城を捨て逃げた城主たち …一方、城に残り「部下の命と引き換えに腹を切った」23歳の武将とは

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飫肥城 大手門
飫肥城 大手門(写真:Campagne / PIXTA)
  • 真山 知幸 伝記作家、偉人研究家、芸術修士(MFA)

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連載「秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像」の第26回は、荒木村重をはじめ城を捨てた城主について『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』の著者・真山知幸氏が解説する。

城を捨てた城主は荒木村重だけではない

天正7(1579)年9月2日の夜半、摂津・有岡城から城主が消えた。織田信長に重用され、一時は摂津一国を任された荒木村重である。

前年、突如として信長に反旗を翻し、有岡城に籠城すること約1年。兵糧は尽き、毛利の援軍も来ない。そのとき村重は、妻子と家臣を城内に残したまま、夜陰に紛れて、数人の家臣を連れて脱出。尼崎城へと向かった。その様子を『信長公記』はこう記す。

「9月2日の夜、荒木村重は五、六人を従え伊丹城を忍び出て、尼崎の城へ移って行った」

<九月二日の夜 荒木摂津守 五六人召列伊丹を忍出 尼崎へ移候>

その結果、12月13日には置き去りにされた家臣やその妻子ら500名あまりが尼崎城近くの七松にて、16日には村重の妻をはじめに女子供ら30名あまりが京都の六条河原で、信長によって処刑された。

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