城主という立場であれば、別所長治のような、自ら犠牲となりみなを助ける潔い最期を迎えたいものだが、伊東義祐や大友義統も、村重のように妻子と多くの家臣を置いて、ほぼ単独で逃げたわけではなかった。
太田牛一が『信長公記』で、村重の振る舞いについて<前代未聞之仕立也>と記し、置き去りにされた妻子たちが<夢かやうつゝかや>と嘆き泣く様子を<目も当られぬ次第也>と書き残しているように、当時の戦国の武将たちにとっても、驚き呆れた言動だったのは、確かそうだ。
結局、村重は信長が本能寺で倒れた後、秀吉に茶人として迎えられ、赦免されて天寿を全うしている。
何としてでも生き残る――。それこそが荒木村重のモットーであり、最後まで突き通したと思えば、それもまた一つの生き方なのだろう。
「村重の裏切りと長治の自刃」から秀長は何を学んだか
別所長治が籠城した三木城を、兵糧攻めで陥落させた羽柴軍の功労者の一人が、秀長だった。秀長は淡河城を攻略して三木城への補給路を断つなど、兵糧攻めの長期戦を裏方として支え続けた。
また、三木合戦と同時期、秀吉軍の後方を支援していた荒木村重が謀反を起こしたことで、三木城への補給路が一時的に復活するという苦境も、秀長は経験している。村重の裏切りがいかに秀吉軍を苦しめたか、秀長はその最前線で身をもって知っていたはずだ。
村重の「前代未聞」の逃亡も、長治の潔い自刃も、秀長にとっては武将としての生き方を問う、生きた教材だったのではないだろうか。
【参考文献】
太田牛一著、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)
天野忠幸著『シリーズ・実像に迫る 荒木村重』(戎光祥出版)
新名一仁著『島津貴久 戦国大名島津氏の誕生』(戒光祥出版)
新名一仁編『戦国武将列伝11 九州編』(戒光祥出版)
三木靖著『島津義弘のすべて』(新人物往来社)
河内将芳著『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(戎光祥出版)
河合敦著『豊臣一族 秀吉・秀長の天下統一を支えた人々』(朝日新書)
真山知幸著『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』(日本能率協会マネジメントセンター)


