JR北海道の宗谷本線は、旭川と日本最北端の駅、稚内を結ぶ全長約260kmの路線だ。1926年に全線が開通し、今年2026年で100周年である。
「本線」を名乗るものの、実態としてはローカル線だ。2016年11月にJR北海道は「当社単独では維持することが困難な線区」を公表したが、その中に宗谷本線の名寄―稚内間も含まれていた。厳しい状況にあることは確かだが、長い歴史の中で多くの旅人を魅了してきた路線である。
今回は、蒸気機関車が走った時代の記録を中心に「最果ての鉄道」といわれる宗谷本線の歩んだ轍を振り返ってみたい。
最北端、そして「樺太」への鉄路
宗谷本線は道北地方の開拓のために明治時代に建設が始まり、1898年に旭川―永山間が開業した。その後樺太(サハリン)の南半分が日露戦争の講和条約により日本領になると、南樺太への輸送を担う鉄道建設が急がれた。
当初、稚内までの鉄道は音威子府(おといねっぷ)から浜頓別を経由する東回りの、後に「天北線」(1989年廃止)となるルートだった。現在の宗谷本線のルートである、音威子府―稚内(南稚内)間が全通したのが1926年のことだ。
大正時代の1923年には、稚内と大泊(現在のコルサコフ)間に鉄道連絡船の稚泊連絡船が就航。1928年には稚内から稚内港(現在の稚内駅)まで延伸され、さらに1938年には連絡船に接続する稚内桟橋駅が開業。樺太連絡鉄道としての役割が一層強まったが、1945年8月の終戦直前にソ連が南樺太に侵攻、占領し、宗谷本線は樺太連絡鉄道としての役割を終えた。
