昭和40年代に入ると宗谷本線は旅行ブームの中で「最果ての鉄道」として人気を博し、本州から多くの旅行者が訪れるようになった。今年80歳になる筆者も「北海道ブーム」の昭和40年代中頃には「北海道均一ワイド周遊券」を手に、蒸気機関車を撮影すべく宗谷本線には何度も訪れ「最果ての鉄道」の旅情を楽しんだ。
初めて稚内まで汽車旅をしたのは1972年の初夏で、この時は旭川から稚内行きのC55形蒸気機関車の牽く各駅停車で「鈍行列車」の旅を楽しんだ。その行程を追いながら、何度も訪れた撮影時の記憶や現代の沿線の情景と重ねつつ回顧してみよう。時刻は同年3月改正の時刻表に基づいた。
宗谷本線の始発駅旭川までは、当時最新の電車711系による急行「かむい」で向かい、11時00分発の稚内行321列車に接続する。道内初の電車急行から蒸気機関車の牽引する列車に乗り換えるのは、時空を超えた旅情として印象に残った。
蒸気機関車が引く列車で稚内へ
筆者がこのとき乗車した321列車の先頭に立つ機関車はC55形30号機だった。この機関車はSLファンなら知る、かつて流線形だったC55形のうちの1台で、運転室の屋根の丸いカーブが流線形の面影を留めており、当時は人気の機関車だった。
旭川を発車すると平野部の直線を北に向かう。永山駅は宗谷本線最初の開業の駅だ。比布(ぴっぷ)は1980年代に、「ピップエレキバン」のテレビCMで一躍全国に知られた駅である。後年にキハ40形気動車に乗って訪れた際は、当時は有人駅だった(1984年に無人・簡易委託化)ので入場券が売れ、地方からも郵送で注文があり対応に追われたと駅員は話していた。
蘭留(らんる)を過ぎると徐々に勾配がきつくなってくる。ここからは蒸気機関車にとって難所である「塩狩峠」が待ち構えている。三浦綾子の小説『塩狩峠』で知られるところで、ここで明治時代、身を挺して列車の乗客を救った鉄道職員の実話に基づく小説だ。駅近くには「塩狩峠記念館(三浦綾子旧宅)」があり見学も可能。駅構内には「殉職記念碑」が建立されている。
