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トゥキディデスと司馬遷が語る世界史の分岐点―覇権国家の興亡と秩序・安定、その歴史観の違いから米中関係を読み解く

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2026年5月、米中首脳会談での習近平国家主席(左)とトランプ大統領(写真:China Pool/Getty Images)
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明治以降こうした歴史観に日本もさいなまれる。しかし、東洋の歴史観はけっして発展と進歩という歴史観ではない。司馬遷以来(紀元前2世紀)の長い歴史を誇る中国の伝統は、日本にも大きな影響を与えているが、その伝統からいえば、歴史とは、進歩や覇権闘争ではなく、善を貫き、国家の安定を旨とすることだった。そうであるがゆえに、歴史とは、秩序を形成する統治者の個性を描くことだったともいえる。

作家で中国文学者でもある武田泰淳(1912~76年)は、名著『司馬遷』(講談社文芸文庫、1997年)の中で、次のように司馬遷の描く歴史観をまとめている。

「人間の個性などは、激しい歴史の動きの中では、まことにはかない微小な存在に見える。それだのに司馬遷は、その人間個性のはたらきに眼をそそぎながら、彼の歴史を書こうとしている。秦の始皇帝や項羽や漢の呂太后を大写しに映し出し、その個性的な特異な生き方をみつめることにより、「世界の歴史」を書こうとしている。「世界の中心」になるごく少数者の一生を書き続けることが、歴史家にとって必死の業であることを、彼は確信している。経済史や文化史や思想史など、さまざまな形式をもつ歴史書を、いやというほど見せつけられ、生きた人間の問題から遠ざかってしまった近代人には、この司馬遷のやり方が、原始的で、幼稚で、無鉄砲のように感ぜられるかもしれない」(79~80ページ)

ヨーロッパの自由、アジアの隷属

こうした立場から見れば、歴史に発展も進歩もない。

アリソンは、西欧史を研究し、その多くが勃興する民族と追われる民族の戦いだったとして、トゥキディデスのわなを述べているのだが、西欧に限定するとそうなるかもしれない。

すでに200年前、第2代アメリカ大統領のジョン・アダムズ(1735~1826年、在任1797~1801年)は、やがて大統領となる息子ジョン・クインシー・アダムズ(1767~1848年、同1817~25年)が10歳のころ、政治に携わるものが読まねばならないものとしてトゥキディデスの『戦史』を「この本には演説家、政治家、将軍だけでなく、歴史家や哲学者にも役立つ教えが凝縮されている」(ジョハンナ・ハニンク『人はなぜ戦争を選ぶのか』文響社、2022年、11ページ)として推薦している。

なるほどヨーロッパでは小国がひしめきあい、いつも戦争状態にあったといえる。フランスのシャルル・ド・モンテスキュー(1689~1755年)は『法の精神』の中でこう述べている。

「これらの事実を前提として、私は次のように推論する。アジアには本来基本的な意味での温帯がない。そして酷寒の風土に位置する土地が直接酷暑の風土に位置する土地、すなわちトルコ、ペルシア、ムガル、中国、朝鮮、日本と接している――ここからアジアでは、諸国民が、強者対弱者として相対立する、すなわち、戦士的で勇敢かつ活動的な民族が、柔弱で、怠惰で、臆病な民族と直接となりあうという結果になるのである。それゆえ、一方は被征服民と、他方は征服民とならざるをえない。ヨーロッパでは反対に、諸国民は強者対強者として対立する。相隣接する諸国民はほとんど同じ勇気をもっている。これが、アジアの弱さとヨーロッパの強さの、またヨーロッパの自由とアジアの隷従の大きな理由である」(『法の精神』中巻、岩波文庫、1989年、108ページ)

言い換えれば、ヨーロッパは自由だが、つねに戦争状態におびえ、アジアは隷属状態だが、戦争がないということである。

さて、習近平が米中会談でのあいさつで「米中両国は対決ではなく協調だ」と言ったのは、たんに米中戦争へと煽り立てるトランプを牽制したのではなく、まさにアジアの歴史観はそうしたトゥキディデスの立場に立たないということを言いたかったというべきかもしれない。

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