
明治以降こうした歴史観に日本もさいなまれる。しかし、東洋の歴史観はけっして発展と進歩という歴史観ではない。司馬遷以来(紀元前2世紀)の長い歴史を誇る中国の伝統は、日本にも大きな影響を与えているが、その伝統からいえば、歴史とは、進歩や覇権闘争ではなく、善を貫き、国家の安定を旨とすることだった。そうであるがゆえに、歴史とは、秩序を形成する統治者の個性を描くことだったともいえる。
作家で中国文学者でもある武田泰淳(1912~76年)は、名著『司馬遷』(講談社文芸文庫、1997年)の中で、次のように司馬遷の描く歴史観をまとめている。
ヨーロッパの自由、アジアの隷属
こうした立場から見れば、歴史に発展も進歩もない。

アリソンは、西欧史を研究し、その多くが勃興する民族と追われる民族の戦いだったとして、トゥキディデスのわなを述べているのだが、西欧に限定するとそうなるかもしれない。
すでに200年前、第2代アメリカ大統領のジョン・アダムズ(1735~1826年、在任1797~1801年)は、やがて大統領となる息子ジョン・クインシー・アダムズ(1767~1848年、同1817~25年)が10歳のころ、政治に携わるものが読まねばならないものとしてトゥキディデスの『戦史』を「この本には演説家、政治家、将軍だけでなく、歴史家や哲学者にも役立つ教えが凝縮されている」(ジョハンナ・ハニンク『人はなぜ戦争を選ぶのか』文響社、2022年、11ページ)として推薦している。
なるほどヨーロッパでは小国がひしめきあい、いつも戦争状態にあったといえる。フランスのシャルル・ド・モンテスキュー(1689~1755年)は『法の精神』の中でこう述べている。
言い換えれば、ヨーロッパは自由だが、つねに戦争状態におびえ、アジアは隷属状態だが、戦争がないということである。
さて、習近平が米中会談でのあいさつで「米中両国は対決ではなく協調だ」と言ったのは、たんに米中戦争へと煽り立てるトランプを牽制したのではなく、まさにアジアの歴史観はそうしたトゥキディデスの立場に立たないということを言いたかったというべきかもしれない。
