アメリカのトランプ大統領は2026年6月2日、「高度な人工知能の革新とセキュリティの促進(Promoting Advanced Artificial Intelligence Innovation and Security)」と題する大統領令に署名した。AI(人工知能)の開発企業による自主的な協力を前提に、最新モデルの提供開始30日前までに政府が安全性に関するリスクを点検する。
この大統領令は、世界のAI政策の方向性を占う重要な試金石となるものである。その特徴は、欧州型の包括的規制モデルとも、中国型の国家統制モデルとも異なる、「国家安全保障を重視しながらもイノベーションを最大限維持する」というアメリカの現実主義にある。
21世紀に入り実用化したAIは単なる経済成長の原動力ではない。国家に巨大な生産性向上や軍事的優位をもたらす一方、サイバー攻撃能力の飛躍的向上や情報操作の高度化といった新たな脅威も生み出す典型的なデュアルユース技術である。各国政府は技術革新を阻害することなく安全保障上のリスクを管理するという難題に直面している。それだけにアメリカ政府の方針は、世界のAIの行方を左右する。
強制規制ではなく「自主的枠組み」
今回の大統領令を理解するうえで最も重要なのは、最新モデルの提供開始前に政府が安全性について関与するとはいえ、それが新たな許認可制度や政府ライセンス制度を創設するものではないという点である。
大統領令は、最先端AIモデルの開発企業が、一定の条件の下で政府にモデルへの早期アクセスを提供できる自主的枠組み(Voluntary Framework)を整備することを目的としている。すなわち、政府がAI開発を事前審査し、承認しなければ公開できない制度ではない。
この点は、政策論争において極めて重要である。AI分野では、アメリカ、中国を中心とする熾烈な技術競争が進行している。モデル開発の遅れは、そのまま国家の戦略的優位の喪失につながりかねない。トランプ政権は、中国との競争に勝ち抜くためには、アメリカ国内のAI投資と開発スピードを維持することが不可欠との認識を明確にしている。
したがって、今回の措置も「安全保障のために技術進歩を止める」のではなく、「技術進歩を維持したまま安全保障を強化する」という発想に立脚しているのである。
もっとも、この「自主的枠組み」を額面どおりに受け取ることはできない。アメリカのこれまでの政策手法を鑑みれば、この枠組みへの不参加は、国防総省をはじめとする巨大な政府調達市場からの事実上の締め出しを意味する可能性が高い。法的強制力はなくとも、巨大な市場購買力を用いた「事実上の強制(ソフトローによるガバナンス)」が機能するように精緻に設計されているのである。
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