帰国後は公立小学校に通いながら、つねにクラスで1〜2位の成績をキープした。学校の試験を「点取りのゲーム」だと感じていたという。当時はクラスで100点を取った人がみんなの前で名前を呼ばれる文化があり、それも彼を動かした。100点を取れば母がご褒美を買ってくれた。
彼の頭の良さは、テストの点数とは別のところにも現れていた。ひたすらデータを集めることに、多大なリソースを注ぎ込む子だったのである。
「オタク気質な性格でした。野球名鑑を読んで、打率や防御率など数字を分析するのが楽しかったんです。あとはポケモンをはじめとするゲームの攻略本を読むこと。データを見るのがすごく好きだったんですよ」
興味のある分野を深く掘り下げるのが得意で、日本史の得意単元は学校の先生よりも詳しかったという。一方で興味が湧かない科目は、机に向かっていてもまったく頭に入ってこなかったそうだ。本人は後年、この性質を「ハマり癖」と呼んでいる。
「好きなことにとことん夢中になった結果として『ハマり癖』みたいなものができてしまい、知識や興味にアンバランスさが生まれてしまったなと感じています」
「ひろゆきみたいな子」といわれた中学時代
中学進学のタイミングで、父がトヨタ本社近くに家を建てたため、家族は豊田市に引っ越した。新しい公立中学校での3年間、彼は穏やかには過ごせなかった。
「自分以外の多くは小学校から一緒、なんなら先生たちも同じコミュニティ出身という狭い世界。しんどかったですね」
成績は中1で学年20番以内、中2からは10番以内。だがトップ5には入れない。それ以上に問題だったのは、彼が教師たちから疎まれていたことだった。
「先生たちから面倒くさがられていました。『ひろゆきみたいな人』だと思われていて、よく『将来どういう人になるのか、一番気になる人』と言われていました」
物事を斜めから見て、常識を疑う癖。アメリカの教室で身に付けた感性は、田舎の閉じた中学校では明らかに浮いていた。彼は早々に、「この街を出よう」と決めた。
