トラブルを糧に、地域の理解を得てほしい
そして迎えた5月31日、残念ながらいくつかトラブルが起きてしまった。当初は予定になかった獅子舞や太鼓について、近隣に説明はしたが、それでも騒音の苦情が入った。月極の駐車場に駐めてしまう車も何台かあった。
たくさんのベトナム人参拝者が集まり、配られたお弁当を公園で食べる様子は、長年アジアに親しんできた僕からすれば微笑ましい、なんということもない景色だが、不慣れな近所の日本人はたとえ事前に知らされてはいても驚いただろう。
へんみ圭二さんは「私のところにも苦情が3件、寄せられました」と話す。
「ベトナムの方との交流が進めばいいなと思ってはいますが、近所の方に迷惑をかけてしまうとなかなか難しくなってしまう。せっかくの取り組みなのに、もったいないなと思います」
異国で暮らす外国人は、どの民族であっても肩を寄せ合う場所をつくるものだ。お寺のような宗教施設がその最たるものだろう。
そこではお祈りやお祭りや、宗教に関わる儀式をするというだけではない。「同胞と会える」ことが大切なのだ。近況を語り合ったり、再会を懐かしんだり。気の置けない相手との語らいは、なにかとしんどい異国暮らしにあって大きな癒やしであり楽しみだ。
