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「嫌なら出ていけ」継父に怒鳴られた夜、もっと傷ついたのは母の言葉だった…"母の夫"と3人で暮らし始めた子どもの本音

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きむらさん
継父を“お父さん”と呼ぶのは「無理」。そこにはどんな思いがあったのか……(写真:編集部撮影)
  • 大塚 玲子 ノンフィクションライター
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ものごころがついた頃には、父親と祖父母と4人暮らしでした。両親が離婚したのは、おそらくひとみさんが2~3歳のとき。この頃の父親は「いっぱい遊んでくれて、いいお父さん」だった記憶です。

母親とはたびたび会っており、いつも待ち合わせ場所の近くまで、父親が車で送ってくれたそう。父親も祖父母も普段、母親のことについては何も口にしませんでした。悪口も言いません。

母親が再婚したことは、なぜか母親本人からではなく、父親から聞かされました。ひとみさんは当時、小学校の中学年くらい。ショックでしたが、表情には出しませんでした。

「私が母のことをネガティブに話すと、『じゃあもう、母親には会わせない』という話になるかもしれない。今思うと、それが嫌だったから無表情で聞いたのかもしれません。でも心の中はやっぱりショック。『違う道を行き始めたな』という感じですかね」

まもなく、母親から「会ってもいいよね?」と言われ、再婚相手とときどき顔を合わせるように。当時の印象は「ふつうにいい人。悪くはない」。特に親しみも感じませんでしたが、嫌いなわけでもなく、その人のことは「おっちゃん」と呼ぶようになりました。

距離感が近すぎた父親

一方で、ひとみさんは父親の言動に、だんだんと違和感を覚えるようになっていました。距離感がどうもおかしいのです。

ひとみさんが出かけるときは、いつも後ろからついてきたり、遊びに行った友達の家までやってきてチャイムを鳴らし、ひとみさんがいるのを確かめたり。自営で続けていた仕事は、いつの間にかやめていたようです。

「別に何をしてくるわけでもなく、ただ私を見ているんですよね。夜、自分の部屋で寝ているときも、ふと目を覚ますとすぐそこにいたりして……」

「やめて」と何度伝えても、父親には娘の気持ちや、何がよくないのかが伝わらないようでした。ひとみさんの頼みで教育相談に行ったときも、父親は帰ってきて「何を言っているか、わからなかった」と話したそう。

「私が保育園や小学校低学年のときから、常に見守っている感じはあったけれど、そのときは嫌じゃなかったんです。でも私が成長して、もっと距離を置いてほしくなったのに、父親はずっと同じ(近い)距離で見守っている。父親だけ、変わっていかなかったんです」

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