19年3月末には33店舗となり、ピーク時の3割未満にまで落ち込んだ。海外にも韓国、中国、ハワイに進出したが、食文化や価格帯、新型コロナウイルスの逆風もあり、今ではすべて撤退した。
執行役員で事業推進室長を務める池田章朗氏はこう振り返る。
「デフレの価格競争に巻き込まれてしまって、自戒を込めて言うとピエトロらしさを失ってしまった部分はある。ピエトロの価値は味、雰囲気、サービスの総合点だが、価格を意識して、そっちに寄りすぎた部分があった。決して味に妥協したとは言いたくないが、でも実際は質が落ちたところはあったかなと思う」
店舗事業は19年3月期にようやく黒字化
ピエトロをレストランとして全国でも有名にするという野望はこの時いったん頓挫した。不採算店舗の整理もあり、19年3月期にようやく店舗事業は黒字に転換したものの、新型コロナウイルスの猛威でレストランの来店客は激減。経営に影響は出たが、店舗数が大幅に縮小していたことで傷は浅く済んだのは、かえって運がよかったとも言える。

そして転機となったのは20年だった。同社はファンベース経営を導入し、レストランの位置付けを抜本的に見直した。他の大手外食チェーンのようにレストランで利益を拡大するのではなく、レストランをファン創出の起点にすることで、商品事業も含めたピエトロ全体の底上げをするという考え方にしたのだ。
「他の外食チェーンと違うのは、ドレッシングなどの商品を販売していること。そのブランドのタッチポイントとしてリアルの店舗を使ってファンを増やしていく。そして全国の主要都市を中心にもう一度出店をしよう、としているのが直近5年だ」(池田氏)
20年以降、同社は再び出店を拡大。四国、東北、東海エリアにも進出し、26年3月末時点の店舗数は44店まで回復した。
筆者は福岡市出身で、子どもの頃から、家族でよく近所のピエトロに足を運んでいた。現在は首都圏に住んでいるが、スーパーでは多少高くてもピエトロドレッシングを選ぶことが多い。こうした「福岡発のファン」は少なくないだろう。同社が目指しているのは、まさにそのような熱量の高いファンを全国で増やすことにある。
もっとも、レストランを含む店舗事業単体での収益性は、ドレッシングやパスタソースなどの商品事業と比べて低い。
