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ライフ #再開発されない街

「町工場や個人商店が今も残る」「対岸には高層ビルが並ぶ」…品川駅まで15分なのに再開発されない「川沿いの街」の歴史

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六郷土手駅
大田区にある「再開発されない街」とは?(写真:筆者撮影)
  • 坪川 うた ショッピングセンター研究家・ライター
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多摩川、東海道と水陸の両面で交通利便性がよく、都心部に近い六郷は工業地に適していた。同年、六郷村は六郷町へ改称された。

六郷町の工場数は1928(昭和3)年にはわずか3軒であったが、工業地域の指定を受けると、1929(昭和4)年には41、1930(昭和5)年には61と急増。さらに1931(昭和6)年の満州事変後、六郷地区の工場は著しく増え、並行して宅地化も進み人口も急増した。

1937(昭和12)年に日中戦争が勃発すると、軍需工場地帯となっていく。田畑の工場用地化、宅地化が進んでいった。

軍需工場が立地していたことから、第二次世界大戦で度々空襲を受け、六郷地区は一面焼土と化した。大田区の戦災地域図を見ると、六郷土手駅周辺はほぼ全域が焼失している。

工場跡地が集合住宅に

戦後は、戦前の大工場地帯から町工場の密集地になっていく。

高度経済成長期にも工場は稼働していたが、公害問題が発生し、拡張用地の不足や地価の高騰も相まって移転が進んでいく。跡地には集合住宅が建てられた。

六郷土手駅の周りには戸建てや小規模なアパート・マンションが多いが、街を歩いているとときどき大きな集合住宅に出会う。特に、駅東側の多摩川沿いに集合住宅が並んでいる。

江崎グリコ工場跡地に建てられたマンション(写真:筆者撮影)
駅東側の多摩川沿いに集合住宅が見られるが、タワマンはない(写真:筆者撮影)

川沿いに工場が建てられ、その跡地がマンションになる……という流れは、以前、本連載で取り上げた江東区でも見られた。

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