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「人口20万人なのに百貨店1店だけ」「その店も売上低迷で消滅」…茨城屈指の"企業城下町"で百貨店が根付かなかったワケ

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伊勢甚のロゴマーク
なぜ企業城下町として発展した日立市で、百貨店が根付かなかったのか(写真:筆者撮影)
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85年6月、神峰町に大型ショッピングセンター「椎の広場アウリット」が開業。茨城県初の組合事業型SCで、店舗面積約2万5000平方メートル、55テナント、700台の駐車場を備え、初年度売り上げ目標は140億円。日立市がこれほどの規模の商業施設を持つのは初めてのことだった。

核テナントとして入居したのが、伊勢甚日立店だ。再開発組合理事長の長山昌弘氏は、「SCを核にした街づくりを実施しようということでスタートした」と語っている(『ショッピングセンター』96年11月号)。

一方で、当初から不安視する声もあった。

当時、伊勢甚日立店に勤務していた元社員の井手よしひろ氏に話を聞くと、「山と海に囲まれた日立は商圏として厳しく、社内でも『こんな大きな店を作って大丈夫なのか』という声はあった」と語る。さらに、「ビルのスペックが過剰で固定費が高く、単店で黒字を出すのは難しかった」とも振り返った。

ショッピングセンター「椎の広場アウリット」の跡地はスーパーの「カスミフードスクエア」になっている(写真:筆者撮影)

開業から1年4カ月で旧店舗が閉店

新店舗オープンに合わせて、旧店舗(鹿島町)はディスカウントストア「DS伊勢甚」として営業を継続。しかし86年11月、開業からわずか1年4カ月で閉店する。

日本経済新聞(87年3月11日)は、閉店の背景として、新店との両立の難しさと円高不況による地域経済への打撃を挙げている。日立市は日立製作所の業績が地域経済に直結する典型的な企業城下町であり、主要企業の減量経営が消費の冷え込みにつながったと分析した。

実際、85年以降の円高不況で、日立製作所をはじめ、地域の主要企業は給与カットや残業削減などの減量経営を進めた。企業収益の悪化は、地域の消費にも影響を与えていった。

水戸市への購買流出を食い止めるために始まった再開発だったが、中心市街地の再編は当初の想定ほど簡単ではなかった。

伊勢甚旧店舗の近くにあった看板(写真:筆者撮影)
よく見ると地図に「伊勢甚」の文字が。街のあちこちに伊勢甚の痕跡が隠れていた(写真:筆者撮影)
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