振り返ってみますと私の人生は、常に、より過酷な〈茨の道〉を選んで来たような気がします。そう言えば二十代の頃、母から「あなたはいつも大変な道、大変な道へと過酷なほうを選ぶわね」と言われたことがありました。
しかしそれは、過酷な道を選んで来たのではなく、選んだ道がその都度、過酷だったというだけですし、元々「少しでも楽をしていい思いをしたい」という気持ちが私自身に全く無いのです。
しかしそうは言っても、そうした環境においては思い悩むこと、苦しむこと、理不尽な思いを抱え悶々とする日々も多々あります。
ある時、あまりの苦しさに弱音を吐いたことがありました。すると夫は、呑気な顔でこう言いました。
「あなた、これまで百本ノック、やって来てないでしょ?」
どういうことでしょうか? 詳しく聞いてみると、夫はこれまで、否定されても否定されても、「はい、次。はい、次」と、次々とすぐにその否定ノックを百本以上打ち返して来たというのです。
なるほど、と思いました。確かに私はこれまで、百回否定され続けたことはありません。否定されたと言っても、二、三回ほどで次へと駒を進めて来た人生だったように思います。
そしてさらに大事なことは、その〈否定〉は決して、私という人間への“人格否定”ではなく、あくまでもその取り組んでいる“課題”に対しての、だということです。
もちろんその否定の程度や物事にも依りますが、自分が信じた目的の為なら、たった数回の否定で音を上げてしまわずに、何十回でも起き上がり続けられる程の粘り強さや諦めない心……。そんな気概だけは、いくつであっても持ち続けたいとあらためて強く感じています。
自分が高齢であるかどうかなど考えない
「若い」ということは、それだけで素晴らしいと思います。希望に溢れ、未来があり、心は柔らかく、スポンジのように吸収力があり、素直で、これからの世界を作っていく人たちです。

