小学5年から中学2年の途中まで、家族で北京に拠点を移す。通ったのは現地のインターナショナルスクールだった。
「中国人、日本人、韓国人、北朝鮮人、欧米の子。あらゆる国籍がひとつの教室にいる空間でした。授業は基本的に英語。ところが僕、日本でも中国でも、英語をまったく勉強していなかったんです」
中国語が話せない生徒もいれば、英語が話せない生徒もいる。日本人だからといって特別扱いはされない。そこで彼が頼ったのは、団地時代に鍛え上げた能力だった。
「とにかく話しかける、ジェスチャーで通じさせる、相手の言葉を真似する。半年もすると、英語で授業のやり取りができるようになっていました」
ここで日本語・中国語・英語のトリリンガルになった。
インターナショナルスクールでは、韓国人の生徒と北朝鮮の生徒が一切口をきかない、という状況も日常的にあった。
「同じクラスにいるのに会話しない。僕がしょうがなく両方の通訳みたいなことをして、橋渡しをするわけです。あれは、子どもながらに国際政治の縮図を体感していたのかもしれません(笑)」
「街では中国人のふり」反日強まる中国での生活
しかし、教室を一歩出ると景色は変わった。当時の中国は反日感情が強まっていた時期にあたり、街では反日デモが繰り返された。日本人だとわかる振る舞いが危険に直結する場面もあった。
「街では中国人のふりをしていました。中国語のアクセントを完璧にして、買い物のときも一切日本語を出さない。それを毎日やっていると、『相手にどう見られているか』をリアルタイムで意識する癖がつくんです」
また、中国の友人と話していると、日中の歴史や文化について、お互いの理解がまったく違うことが何度もあった。
「『知らないって、ヤバい』。あれは中学生の僕が体で覚えた感覚です。お互いがお互いの歴史認識や文化を共有していないまま付き合うと、ある日突然、地雷を踏む。知識の共有こそが、関係をフラットに保つ前提なんだと思いました」
