4歳のとき、弟が生まれたのをきっかけに、孫さんは中国の祖父母の家に預けられた。退役軍人だった祖父が住む団地で、近隣には元軍人やその家族が暮らしていた。西安、青島、北京を転々としながら、現地の保育園・小学校に通った。
「最初の数カ月は中国語の意味がわからなかったんですが、子どもなので、いつの間にか喋っていました。中国語は『勉強した』というより、『気づいたら身についていた』感覚に近いです」
4歳から6歳までの中国生活で、中国語が自然に身についた。家庭言語の日本語と合わせて、この時点でバイリンガル。
小学1年から4年までは千葉県内に戻り、日本で過ごした。学校の成績は良く、両親に勧められて中学受験塾SAPIXに通い始める。だが、これが続かなかった。
「ペーパーテストを毎週のように受けさせられるんです。子どもながらに『なんでこんなものを延々とやらないといけないんだ』と腹が立って、答案を破ったこともありました(笑)。ほどなく辞めましたが、それでも親は『勉強しなさい』とは言わなかった。あの寛容さは、いま振り返るとすごいです」
小学生のとき“ボランティア”でトラブルに
小学校高学年のころ、孫さんは親の勧めで中国・内モンゴル自治区の植樹ボランティアに参加する。砂漠化が進む土地に苗木を植え、緑を取り戻す活動だ。
「当時の僕は、ボランティアは無条件にいいことだと信じきっていました。ところが現地の人たちにとっては、ある日突然、見知らぬ人間がやってきて勝手に木を植えていく、という映り方をしていたらしくて。現地の人から快く思われてなかったんです」
現地の大人たちから向けられる批判的な視線。普通の小学生なら萎縮する場面だが、彼はスタスタと彼らのところへ歩いていき、声をかけた。
「『木を植えて緑化すれば、いずれ作物が取れて、ここに住む皆さんの利益にもなるはずですよね』って。子どもの拙い理屈ですけど、分かってもらおうと思ったんです」
彼らは思いのほか真面目に話を聞いてくれたという。最終的にはお互いの言い分を理解し、解決することができた。
そのときの感触を、孫さんはいまも仕事の原点として語る。
「同じ出来事でも、立場が変われば見え方は変わる。だからこそ、正しい情報を共有して話し合えば、対立は解決できる。あれを小学生のときに体で覚えたのは大きかったですね」
