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新学部設立で校地探しが具体化する
大学設置基準に校地面積が足りない状況をなんとかしようと、青学は1972年ごろから千葉県君津市、町田市真光寺の物件、東京都稲城市など、さまざまな場所を検討している。ただ、いずれも話がまとまらず、校地探しは長年の課題になっていた。
しかし、1979年10月に国際政治経済学部の設立委員会が設置されてから、事態は急速に動き始める。同学部の設立は、当時、青山学院で大きな影響力を持っていた大木金次郎院長・理事長が、1969年に国連総会に出席した頃から、長年温めてきたものだった。
新学部設立には新しい校地が不可欠だったが、なんと、設立委員会設置からたった3カ月で、大木氏はその校地を探し出してくる。「翌一九八〇年一月七日に開催された臨時理事会で大木は、神奈川県厚木市に校地を購入するために、宅地開発公団との取得交渉を進めていることを報告し、了承を求めた。これに対して理事会では格好の物件であり価格も妥当であるとして、全会一致で購入を承認した」(『青山学院大学五十年史』)。
そうして、1980年3月に住宅都市整備公団と土地譲渡契約を締結。面積は約15万2700㎡で、購入価格は49億5000万円だった。
それまでの多くの候補地はまとまらなかったのに、なぜ厚木は数カ月で決まったのか?
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【青山学院が「森の里」を選んだ理由】
