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「最寄り駅からバスで1時間」「食堂が貧弱で空腹学生が続出」…剛腕理事長がゴリ押しした「青学・厚木キャンパス」撤退の顛末

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背景に大山をのぞむ森の里の住宅エリア
背景に大山をのぞむ森の里の住宅エリア。森の里は、南北に走る幹線道路を挟んで、東側に企業や大学の誘致エリア、西側に住宅エリアがある(写真:筆者撮影)
  • 松本 史 フリーランス編集・ライター
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厚木担当副学長を務めた貫達人氏は、「大木先生の思いつきだろうと思いますが、豊臣秀吉の故智にならったのかもしれません。というのは、A館からK館までの十一の建物を、十一の建設会社にわり当てて、競争で建てさせたのです」と振り返っている(『青山学報』203号 2003年3月「厚木開学の頃」)。

現代ならばコンプライアンス的に問題になりそうな手法だが、当時は評判になり、開学後にいくつかの大学が見学に来たという。

森の里の中央を南北に走る幹線道路(写真:筆者撮影)

ニュータウンの成功例として注目された森の里

昭和40(1965)年代に各地で進んだニュータウン開発は、高度経済成長期の都市部の人口集中に対応する住宅供給が目的だったが、昭和50(1975)年代に入ると量的な問題は片付いてきて、単なるベッドタウンというだけでは、選ばれなくなっていく。そこで住宅だけではなく、工場や研究所なども誘致した、職住近接のニュータウン開発が中心となっていく。

ニュータウンへの大学誘致も盛んに行われた。1986年11月21日の『朝日新聞』には、地域振興整備公団の総裁の言葉として「大学があると文化都市の色彩が強く出るし、学生によって活気づく。(後略)」とある。誘致した大学と企業が連携するなどへの期待もあったようだ。

そんな中、森の里は新しい形のニュータウンの成功例として挙げられるようになっていく。1987年9月5日の『日本経済新聞』では「(前略)『森の里』は青山学院大のほかNTT、富士通といった先端技術の誘致に成功し、産・学・住が相乗効果を生んで実現した複合型ニュータウン開発として知られている」とある。

厚木市としても、いの一番に青学が来てくれて、森の里のシンボル的な存在になったことには感謝があっただろう。だからこそ、厚木キャンパスの住所を「厚木市森の里青山1番1号」としたのだ。

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【厚木キャンパスは青学の課題になってしまった】

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