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「最寄り駅からバスで1時間」「食堂が貧弱で空腹学生が続出」…剛腕理事長がゴリ押しした「青学・厚木キャンパス」撤退の顛末

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背景に大山をのぞむ森の里の住宅エリア
背景に大山をのぞむ森の里の住宅エリア。森の里は、南北に走る幹線道路を挟んで、東側に企業や大学の誘致エリア、西側に住宅エリアがある(写真:筆者撮影)
  • 松本 史 フリーランス編集・ライター
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1985年に開学した松蔭大学厚木森の里キャンパス(開学当時は松蔭女子短期大学)。1983年7月1日の『日本経済新聞』では、足立原市長が森の里を核として「筑波をにらんだ研究・学園都市づくりに全力を投入する」とコメントしている(写真:筆者撮影)

10年目に厚木キャンパスにくだされた結論

しかし、森の里が成功例として注目される一方で、青学内部の風向きは変わり始めていた。というのも、1991年12月に学長に就任した内藤昭一氏は、その就任挨拶で「厚木キャンパス問題の克服」を課題として取り上げているのだ。開学してわずか10年で、厚木キャンパスは青学の課題になってしまった。

実はその一昨年前、1989年に強力な指導者であった大木氏が急逝し、青学では新しい体制の模索が始まっていた。ちょうど、翌年1992年には18歳人口がピークを迎え、その後は激減する「大学冬の時代」へ突入する状況下で危機感も強かった。

1992年2月に大学将来構想委員会が内藤学長に答申した「八二年大学改革の実態と新しい改革の方向」では「八二年の大学改革は、当初の意図とは裏腹に、いまさまざまな面で困難な局面を迎えている。これまで関係者の努力と犠牲によって破綻が表面化することはなかったが、いまや限界に近づきつつあるようにみえる」とある(『青山学院大学五十年史』)。

これは端的に「厚木キャンパスは失敗だった」と結論づけていると言っていいだろう。

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【ついに厚木撤退へ】

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