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「最寄り駅からバスで1時間」「食堂が貧弱で空腹学生が続出」…剛腕理事長がゴリ押しした「青学・厚木キャンパス」撤退の顛末

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背景に大山をのぞむ森の里の住宅エリア
背景に大山をのぞむ森の里の住宅エリア。森の里は、南北に走る幹線道路を挟んで、東側に企業や大学の誘致エリア、西側に住宅エリアがある(写真:筆者撮影)
  • 松本 史 フリーランス編集・ライター
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ここから、青学内部では厚木キャンパスの問題解決こそが、未来のための最重要課題という認識になっていく。とはいえ、そう簡単に解決できるものでもない。

厚木キャンパスの撤退案、移転案、消極的利用案、はたまた積極的利用案など、さまざまに検討されたようだが、「これらの議論は、かなり錯綜しており、歯切れが悪い」(『青山学院大学五十年史』)。そうして、だんだんと「厚木問題が解決されなければ何をやっても無駄との印象が生まれ(後略)」ていく。

立つ鳥跡を濁さず、厚木を撤退

その解決の光がみえたのは、1999年秋に、相模原市にあった新日本製鉄の研究所が移転するという話が舞い込んできたときだ。調べてみたところ、JR淵野辺駅から徒歩7、8分とアクセスもよく、敷地面積も十分だった。そこで、新日鉄との交渉をスタートさせ、翌2000年3月には土地売買契約の締結に至る。

実は新日鉄との交渉が始まってすぐ外部に情報がもれ、報道される。厚木市としては寝耳に水だったようで、当時の山口巌雄厚木市長は「引き続き厚木キャンパスの存続について大学当局に対して強く要請していく」(『日本経済新聞』1999年10月16日)と述べている。

結局、その要請は受け入れられなかったわけだが、2002年3月には、厚木キャンパス跡地に日産自動車の研究施設進出が正式に決まる。立つ鳥跡を濁さずではないが、厚木市への義理も果たして青学は森の里を撤退していった。

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【厚木撤退後、相模原キャンパスがオープン】

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