200億円の負債を背負った借金王
福沢諭吉の出版の手伝いなどをしていた朝吹英二だったが、諭吉があまり著作を出さなくなると、仕事がヒマになってしまう。そこで、慶應義塾での先輩だった荘田平五郎の紹介を受けて、三菱入りした。
営業などで頭角を現し、あっという間に幹部となった彼は、貿易商会という子会社の取締役を任される。
この会社は、当時の日本が、貿易の主導権を外国の商館に握られて、好き放題やられていた状況を打破し、主導権奪回を目的として設立された。
岩崎弥太郎はもちろん、福沢諭吉などの慶應系の人々も出資、政府の最大権力者であった大隈重信が後ろ盾という、万全の体制で設立。
当初は、海外商館を押しのけ、生糸の直輸出を切り開くなどの貢献をしたが、しかし最終的には大失敗してしまう。
根本的な問題は、貿易と英語に精通したエキスパートがいず、また、腰を据えたマーケティングや、徹底した品質管理もなかったことだ。
また、会社の設立直後に大隈重信が失脚、政治的な後ろ盾を失ったことも後々まで響いてしまい、明治19(1886)年に破綻。
すると朝吹は、他に迷惑をかけられないからと、なんと商会の負債をすべて一人で引き受けた。その総額は100万円ともいわれ、彼は稀代の借金王になってしまう。
ちなみに、当時の100万円を現代の貨幣価値に換算すると、200億円ほどになる(換算方法によっては、1桁以上金額が変わってしまうので、あくまで目安としての金額)。
このあと彼は、日本初の実業家の社交クラブ・交詢社の創立や、大隈重信の政治活動を手伝うなどして、糊口をしのいだ。
そんななか、犬養毅(後に首相、憲政の神様といわれる)や尾崎行雄(やはり憲政の神様といわれる)などが、彼のもとにカネを借りに来る。もちろん朝吹を当代一の借金王と知ってのうえだ。よく借りに来るものだが、朝吹も朝吹で、どこかからおカネを調達して、二人に貸してやった。

