明治の半ば以降、三井には益田孝と中上川彦次郎という二人の大立者がいた。
この二人は、正反対と言っていいほどの対照的なキャラクターの持ち主だった。
まず、益田孝は三井物産を仕切っていたが、頭が良すぎて、先のリスクが見え過ぎてしまうタイプ。このため、安心安全な商売が大好きで、確実な需要と供給をつなぐ、コミッションビジネスに精を出していた。
三井の空中分解を防いだ唯一の潤滑油
また彼には、他の明治時代の実業家のような「国のため」「社会のため」という強い志の核がない、というのも特徴的だった。
一方の中上川彦次郎は、福沢諭吉の甥っ子で、やはり頭が切れ、三井銀行が不良債権を抱え込んで倒産寸前まで追い込まれたさい、請われてその立て直しに入った人物だ。諭吉の影響を受けて、自分の手で日本の実業を近代化するという使命に燃え、三井銀行を拠点にして、工業化路線を推進しようとしていた。
安心安全にカネを稼ぎたいという益田孝と、リスクをとってでも工業化に邁進し日本の近代化を実現させたい中上川彦次郎――こんな水と油の二人が合うはずもなかった。
お互い一触即発のような雰囲気になることもあったが、そこで両巨頭のあいだに入って、破綻しないように取り持ったのが朝吹英二だったのだ。
(続)
