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世界遺産・姫路城の城下町である兵庫県姫路市に、開業からわずか8年で休止し、姿を消したモノレールがあった。ロッキード式という世界的にも希少な技術を用いた姫路市交通局のモノレールが開業したのは1966年5月17日、今から60年前のことである。
当時、日本は高度経済成長期のただ中にあった。各地の都市では自動車の急増によって道路は慢性的な渋滞に見舞われており、その解決策として脚光を集めたのがモノレールだった。用地買収が困難な都市の街路上空スペースを有効活用できることから地下鉄や一般的な高架鉄道よりも建設費が安く、構造物も簡易であり都市の美観維持の点でも優れていると盛んに喧伝されたのである。
「姫路の田中角栄」が生んだモノレール
民営では東京モノレール羽田線(1964年9月開業)などが早期に開業を果たしたが、公営モノレールは、東京都交通局が建設したごく小規模な上野懸垂線(路線距離0.3km・1957年12月開業)を除けば、姫路市が実質的な第1号となった。
なぜ大阪や神戸などの大都市に先駆けて、当時人口30万人にすぎなかった姫路に、先端交通システムのモノレールが建設されたのだろうか。その背景には、戦後20年以上にわたって姫路市長を務めた石見元秀(いわみ もとひで)の存在があった。
石見は1900年8月、現在の姫路市飾西(しきさい)の生まれ。生家は貧しい農家で、幼少期に父が出奔するなど厳しい環境の中で育った。
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【大陸で成功を目指したが…】
