1963年7月、姫路市では「日本ロッキードモノレール製を採用」(神戸新聞8月7日付)することが決まった。「機種選定委員会を設け、科学的調査現地調査など」(『広報ひめじ』1963年7月号)を行った結果だというが、理由は明記されていない。
おそらくアルヴェーグ式は直径の大きなゴムタイヤを用いるため客室内に突出部ができ、大量輸送には不利と考えられたのだろう。また、東京モノレールや札幌地下鉄が開業前であった当時、ゴムタイヤ式の鉄道は十分な運用実績がなかった。
さらに、姫路モノレールは第1期線こそ、姫路駅と手柄山中央公園(現・手柄山平和公園)間を結ぶごく短い路線(約1.6km)だったが、将来的には「北部住宅地及び文教地と姫路駅を結び、更に国鉄山陽本線を越え手柄山中央公園を経て南部海岸工業地帯をめぐるモノレール路線」(起業理由書)を設置するという壮大な路線構想を持っていた。
根強かった建設反対運動
これらのことを踏まえれば、従来の鉄道技術の延長線上に立脚し、輸送量や耐荷重性に優れ、長距離・高速走行にも適するとされた鉄車輪式のロッキード式を選定したのは合理的な判断だった。
だが、モノレールは都市交通としての導入が大前提であったため、騒音の小さなゴムタイヤ式のメリットが大きく、結果的にロッキード式が採用されたのは、全国でも姫路市と小田急向ヶ丘遊園モノレールの2路線のみにとどまり、特殊な機種となってしまう。このことが、姫路モノレールの寿命を縮める一因となる。
こうしてモノレール計画は動き出したが、
そのため、路線免許が下りたのは1964年11月、建設工事の施工が正式認可されたのは1965年9月と、当初計画より2年以上も遅れた。当時は1964年10月に東海道新幹線が開業し、次は山陽新幹線を――という時期であった。新幹線工事が具体化すれば、交差方法などの調整が困難になることからすれば、ギリギリのタイミングだった。
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【路線はどんなルートだった?】
