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わずが8年で終了「姫路モノレール」なぜ短命だったのか 地方都市に最先端の乗り物「姫路の田中角栄」が構想

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姫路市営モノレール 手柄山駅
1966年の「姫路大博覧会」にあわせ開業した姫路モノレールはわずか8年で休止となった(写真:姫路市)
  • 森川 天喜 旅行・鉄道作家、ジャーナリスト
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1963年7月、姫路市では「日本ロッキードモノレール製を採用」(神戸新聞8月7日付)することが決まった。「機種選定委員会を設け、科学的調査現地調査など」(『広報ひめじ』1963年7月号)を行った結果だというが、理由は明記されていない。

ロッキード式モノレールはコンクリート製の軌道桁上に鉄レールが敷かれ、その上を鉄車輪の車両が走行するのが特徴。コンクリートとレールの間にはゴムなどの緩衝材が入れられた(写真:姫路市)
【写真を見る】現在も残る姫路モノレールの軌道の遺構

おそらくアルヴェーグ式は直径の大きなゴムタイヤを用いるため客室内に突出部ができ、大量輸送には不利と考えられたのだろう。また、東京モノレールや札幌地下鉄が開業前であった当時、ゴムタイヤ式の鉄道は十分な運用実績がなかった。

さらに、姫路モノレールは第1期線こそ、姫路駅と手柄山中央公園(現・手柄山平和公園)間を結ぶごく短い路線(約1.6km)だったが、将来的には「北部住宅地及び文教地と姫路駅を結び、更に国鉄山陽本線を越え手柄山中央公園を経て南部海岸工業地帯をめぐるモノレール路線」(起業理由書)を設置するという壮大な路線構想を持っていた。

根強かった建設反対運動

これらのことを踏まえれば、従来の鉄道技術の延長線上に立脚し、輸送量や耐荷重性に優れ、長距離・高速走行にも適するとされた鉄車輪式のロッキード式を選定したのは合理的な判断だった。

だが、モノレールは都市交通としての導入が大前提であったため、騒音の小さなゴムタイヤ式のメリットが大きく、結果的にロッキード式が採用されたのは、全国でも姫路市と小田急向ヶ丘遊園モノレールの2路線のみにとどまり、特殊な機種となってしまう。このことが、姫路モノレールの寿命を縮める一因となる。

姫路モノレールの車両は、片運転台式の100形2両(101、102)、両運転台式の200形2両(201、202)の計2編成4両が川崎航空機岐阜工場で製造された。「姫路大博覧会」開催中の混雑期には3両連結で運転された(写真:姫路市)

こうしてモノレール計画は動き出したが、着工に至るまでの道のりは平坦ではなかった。1963年4月の市議選後、「革新系議員、市内の労働組合を中心に大きな反対運動が起こり『モノレール建設より、教育、住宅建設などの市民福祉施策を優先せよ』と根強い、精力的な運動」(神戸新聞1965年4月22日)が続けられた。

そのため、路線免許が下りたのは1964年11月、建設工事の施工が正式認可されたのは1965年9月と、当初計画より2年以上も遅れた。当時は1964年10月に東海道新幹線が開業し、次は山陽新幹線を――という時期であった。新幹線工事が具体化すれば、交差方法などの調整が困難になることからすれば、ギリギリのタイミングだった。

【写真を見る】わずが8年で終了「姫路モノレール」なぜ短命だったのか 地方都市に最先端の乗り物「姫路の田中角栄」が構想(26枚)

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【路線はどんなルートだった?】

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