とはいえ姫路モノレールの1kmあたり約9億円という建設費は、他路線と比較して突出して高かったわけではない。起終点駅付近の用地買収に苦労した神奈川県の湘南モノレール(1970年開業)は1kmあたり約10億円、海上工事が難航した東京モノレール(1964年開業)にいたっては約16億円にも上った。用地費などまで含めると、モノレールの建設費は当初言われていたほど安くなかったのである。
高額な初期投資に加え、姫路モノレールの経営を苦しめたのが、開業後の利用低迷だった。博覧会の会期中こそ盛況だったが、閉会後の72日間の乗客は1日平均938人にすぎなかった。1日に3460人乗ればトントンという試算だったが、その3分の1にも満たない数字である。
開業翌年の1967年4月には姫路市長選挙が行われ、モノレールが「論戦の最大焦点」(神戸新聞1967年10月25日)となった。石見は6期目を目指して出馬したものの、革新系の吉田豊信に大差で敗れた。本家・田中角栄は「ロッキード事件」で失脚したが、
「八方ふさがり」だったモノレール
新市長の吉田は就任早々、モノレールに再検討を加えるため対策審議会を設置した。
しかし、この審議会の結論は、モノレール事業が「八方ふさがり」であることを示すものだった。現行路線(第1期線)だけで利用増を図るのは難しいが、延伸するには巨額の費用がかかる。一方で廃止するには撤去費用のほか、建設費の起債残額を一時に返済しなければならない。結局、現状維持しながら、経費を節約するのが望ましいというのである。
利用者数も先細っていった。開業初年の1966年度こそ40万2967人の利用があったものの、1968年度には24万5718人まで落ち込み、以後は20万人台の低空飛行を続けた。当初見込んでいた年間利用者126万人には遠く及ばず、累積赤字は膨らみ続け、支出の一部を市の一般会計で負担することになった。

次ページが続きます:
【利用者「1日平均7人」の駅も】
