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わずが8年で終了「姫路モノレール」なぜ短命だったのか 地方都市に最先端の乗り物「姫路の田中角栄」が構想

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姫路市営モノレール 手柄山駅
1966年の「姫路大博覧会」にあわせ開業した姫路モノレールはわずか8年で休止となった(写真:姫路市)
  • 森川 天喜 旅行・鉄道作家、ジャーナリスト
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では、モノレールは具体的にどのようなルートで建設されたのだろうか。

当時の図面を見ると、まず姫路駅前(北口)を起点に西進し、山陽電鉄と産業道路(県道62号姫路港線)をまたいでいた。その先で大きく針路を変えると船場川に沿って南下し、途中、国鉄山陽本線(当時は地平を走っていた)をオーバークロスする。さらに現在の文化センター前通り付近で船場川を渡ると、そこから急勾配を上り、終点の手柄山駅に到達するという路線だった。中間駅は、産業道路と交差する手前に大将軍駅を設けた。

なお、姫路駅付近(駅西地区)では、それまで道路が狭く小さな木造家屋が密集していたことから再開発事業を行い、新たに幅員20mの都市計画街路高尾線(現・駅西線)を建設。この街路の北側に沿ってモノレールの軌道を設置した。

姫路モノレール予定路線図(画像出典:『広報ひめじ』1960年5月)
右端の国鉄姫路駅と山陽電鉄姫路駅に挟まれた地点を起点に、モノレールの軌道(細線)が描かれている(画像出典:姫路市提供図面の一部を抜粋)

博覧会開幕には間に合わず

終点を手柄山中央公園にしたのは、1966年4月3日から6月5日の期間に開催された姫路大博覧会のメイン会場であり、その乗客輸送のためだった。開幕に間に合うよう急ピッチで工事が進められたが、駅西地区の用地買収が思いのほか難航した。

モノレール姫路駅は仮駅だったとされ、簡素な造りである(写真:姫路市)
【写真を見る】山陽電鉄の線路をまたいで走る姫路モノレール

結局、モノレールの開業は4月3日の姫路博開幕には間に合わず、5月17日にずれこんだ。建設費も当初の見積もりでは、総額7億4660万円(『広報ひめじ』1964年2月号)と試算されていたが、実際には「駅などの建造のために買収した用地、家屋移転補償費などを含めると十五億円を越える巨費」(神戸新聞1966年5月15日)が投じられた(市の資料では約14億円)。1958年に完成した東京タワーの建設費が約30億円だったことを考えれば、かなりの額である。

姫路博会場をバックに走行するモノレール(写真:姫路市)
【写真を見る】わずが8年で終了「姫路モノレール」なぜ短命だったのか 地方都市に最先端の乗り物「姫路の田中角栄」が構想(26枚)

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【開業後の利用低迷】

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