中でも大手前通り建設時の逸話は、今も市民の口からよく聞かれる。姫路駅前と姫路城を結ぶ、通称「50メートル道路」と呼ばれる全長840m、幅員50mの道路の工事が始まると、「市長は運動会でもやるつもりか」と非難されたという。だが、「架線を地下に埋設し姫路城の美観をそこなわないよう設計」(『愛郷のひと 石見元秀』)されたこの道路には、石見の卓越した先見性が見て取れる。
さらに、播磨臨海工業地帯の造成、姫路城解体修理(昭和の大修理)、書写山ロープウェイの開業など、現在につながる姫路の社会インフラ整備を進め、「姫路の田中角栄」とも呼ばれるようになった。
「都市交通の新しいアイデア」
戦後の姫路市は、このような石見市政の下で発展を遂げた。戦前、人口12万の一城下町にすぎなかった姫路は、工業地帯の発展や周辺市町村との合併により、昭和30年代後半には人口37万人を突破する地域の中核都市となった。
交通渋滞も激しくなり、「市街地などは二キロメートルを車で走るのに二十分以上もかかる」(『広報ひめじ』1963年7月号)状況に陥った。そして、そこに浮上したのがモノレール計画だった。1962年12月9日付神戸新聞は、「モノレール建設は石見市長構想で都市交通の新しいアイデアとして発表されたもの」と報じている。
ちなみに、モノレールとは「1本レールの鉄道」を意味し、大きく分類するとレールをまたいで走行する跨座(こざ)型と、ぶら下がって走行する懸垂型がある。
さらに跨座型には、日立製作所が西ドイツから技術輸入したアルヴェーグ式(東京モノレールなど)、アメリカの航空機メーカー・ロッキード社が設計し、日本ロッキードモノレール社(川崎航空機=現・川崎重工などが出資)が製造するロッキード式などが存在した。アルヴェーグ式はゴムタイヤ、ロッキード式は通常の鉄道と同様に鉄車輪を用いるのが大きな特徴である。
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【「ロッキード式」なぜ選定されたのか】
