誰のための「探究」か?
近年、全国の高校で「探究学習」が盛んに行われている。「子どもたちが主体的に問いを立て、社会課題の解決に向けて思考し、判断し、表現する」という理念は、いかにも現代的で、美しい物語に聞こえる。
しかし教育現場の実態に目を向けると、そこにはあるいびつな構造も見えてくる。
というのも、現在の探究活動の少なからぬ部分が、大学入試、とりわけ総合型選抜でアピールするための「受験の材料」として回収されつつあるのだ。
生徒が地域で活動したり、プロジェクトを立ち上げたりした先には、それを選抜の場で評価する教員や大学の面接官といった大人がいる。しかも、その評価は進学機会に直結する。
となれば生徒たちは、自分にとって切実な問いと向き合う前に、評価する大人から見て「社会的で立派な」テーマを選びやすくなる。「SDGs」や「地方創生」といった無難で優等生的な題目に寄せ、大人が先に置いた評価基準に、自分を懸命に合わせにいくのである。

