こうして生まれた優等生的な探究に対して、教員もそれを真正面からは退けにくい。生徒の進路決定に責任を負う教員自身の背後にもまた、その探究を評価する別の大人たちが控えているからだ。
最近では、校内の探究活動のリソースを確保するために、学校が地域や企業、財団に頼るケースも多い。だが、外部資源に依存するほど、学校にはその活動の意義や成果を、外部にとって分かりやすい言葉で説明する圧力がかかる。
そんなとき、SDGsや地方創生など、どの大人が見ても美しく見える生徒の探究学習は、教員にとっても都合が良い。こうして探究学習は、子どもの問いを深める場というより、大人に説明しやすい成果を整える場へと少しずつ変質していく。
これでは、前回の「子どもの進路選択には『第3の大人』が必要だ」で述べたような、親や教師に忖度して進路を決める構図と本質的に変わらない。
もし今の「探究学習」が、自らの好奇心やワクワクに従って世界と出会う営みではなく、大人に評価されるための語りを整え、大人の期待に応えるための、生徒の「自己演出」に成り下がっているのだとしたら、そこには果たしてどんな教育的価値が残るのだろうか?
全国で1万人以上が学ぶ「進路選択表」
その点、第1回で取り上げた立命館慶祥中学校・高等学校(北海道江別市)による「進路選択表」を使った取り組みは興味深い。
進路選択表は私たちが開発した進路選択プログラム「ミライの選択」の中に登場するものだ。
頭の中にある進路意思について、縦軸に選択肢(どのようなものから選ぶのか)を置き、横軸に自分なりの判断基準(どうやって選ぶのか)を書いて整理する表である。
表を描くことで、生徒が進路を考える時に、親や先生に「忖度」することなく、自分の考えを表現し、他者に伝えることができる。
「進路選択表」の使い方は、現在全国で1万人以上の高校生が学んでおり、立命館慶祥では、在校生のうち2人に1人が表の使い方を体得している。
そんな中、立命館慶祥の生徒の一部が、進路選択ではなく有志で始めた活動の中で、進路選択表を使いはじめる出来事があった。
