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日本の鉄道ファン、いわゆる「てっちゃん」の間で広く知られているミャンマー国鉄。2004年頃から日本の機関車や気動車、さらには路面電車などがミャンマーへ譲渡され始め、とくに11年の民政移管以降、その流れは一気に加速しました。
JR各社の車両に加え、民間鉄道や地方で運行されていた第三セクター鉄道の気動車(現地ではRBEと呼ぶ)など350両以上がミャンマー全土で運行されるようになりました。
現地では、かつて日本で活躍していた車両がそのままの姿で走る光景が見られることも多く、プロ・アマを問わず多くの鉄道写真家や愛好家などが「鉄道」を目的にミャンマーを訪れる日本人も少なくなく、テレビ番組などでもたびたび日本で取り上げられてきました。
なぜ日本の中古車両が、ミャンマー全国を走るようになったのでしょうか。そこには、ある日本人技師の大きな貢献がありました。
国鉄マンの存在
鉄道技術者の高松重信さん(当時39歳)は、1982年6月、日本からビルマ(現ミャンマー)の地に降り立ちました。日本国有鉄道の職員時代に派遣されたものの、任務について告げられたのは「行けばわかるから」の一言だけ。高松さんは、当時をそう振り返ります。
ビルマ到着後、高松さんはラングーン(現ヤンゴン)のビルマ国鉄本社で鉄道運営などの指導にあたりました。その後、同国鉄からの要請により、日本から輸出されたディーゼル機関車の保守が重大な課題となっていることが明らかになります。
そこで高松さんは、ラングーンから北へ約620キロメートルにある当該機関車の整備を担うビルマ北部のマンダレー市へ向かい、さらにエーヤワディー川を渡ったザガインにあるヨートン車両工場を訪れました。現地の実情を一通り確認した結果、彼が直面したのは単なる技術的な問題ではありませんでした。
設備がない。マニュアルがない。
そして何より、「どのように管理し、どのように改善していくのか」という体系そのものが存在していませんでした。
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【高松さんが編み出した方法は?】
