「現場の職員たちに整備について聞いたところ、設備がないからできない」と口を揃えるんです」(高松さん)。そこで高松さんは次のことを現場職員らに伝えることに集中しました。
「今あるものでできることを徹底する」
例えば、車両に亀裂があるかどうかを確認する場合、日本であれば専用の検査装置を用います。しかし当時のビルマには、そうした設備がありませんでした。そのため現場では、「検査ができない」として作業そのものを諦めてしまっていたのです。そこで高松さんが伝えたのは、「発想を変えること」でした。
残っていた日本式の規律や教育
「例えば、台車フレームの亀裂が疑われる箇所をきれいに洗浄し、カーバイトのトーチランプで燻(いぶ)し検査を行う。もちろん100%正確ではありませんが、やるのとやらないのとでは大きな差が出ます」
派遣期間はわずか1カ月。すべてを改善することは現実的ではありませんでした。だからこそ、「限られた環境の中でも実行できる方法は必ずある」として、まずは考え方を変えることに注力しました。
高松さんがこのような指導を発案したのには、当時のビルマには日本に対する強い親近感があったからといいます。
「このヨートン車両工場での朝礼では、日本語で号令がかけられる光景が見られたんです」。それは単なる言語の問題ではなく、日本式の規律や教育が一定程度根付いていたと感じたそうです。
現地の幹部や技術者たちは日本式のやり方を歓迎してくれ、われわれ日本人を単に外部の専門家としてではなく、アジアの仲間として共に課題に向き合う存在として受け入れ理解してくれていると思ったとのことです。
一方で、当時のビルマ国鉄には、西ドイツ製やフランス製のディーゼル機関車も導入されていたほか、西ドイツをはじめとする欧州からの技術支援も行われていました。しかし高松さんによれば、これらの国々からの支援は設備や個別の技能教育に重点が置かれており、現場全体の改善には十分に踏み込めていなかったといいます。
「他国の支援は、個々の技術的なやり方を教えることが中心でした。ビルマの貧弱なインフラはあまり考慮されておらず、体系としてどう管理し、どう改善していくかという点までは、あまり伝えられていなかったように感じました」
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【ミャンマーから届いた「ご指名」】
