ミャンマーに到着した高松さんは、ミャンマー国鉄が開設した3カ月間の短期鉄道技術学校において、ボランティアとしてミャンマー国鉄の若手エンジニア13名に対し、実践的な技術指導を開始します。
ミャンマー国鉄では、ディーゼル機関車によって客車や貨車を牽引する運行がすべてを占めていました。しかし、その重要な機関車をオーバーホールしても半数以上が再び故障するという状況にありました。いわば「修理しても壊れる」状態が常態化しており、鉄道の使命である列車輸送は壊滅的な状況に陥っていました。
その原因は、メンテナンス設備の不足や技術力の制約、スペアパーツの欠如などにも起因していましたが、それだけではありませんでした。
本質的にはメンテナンスの原理――すなわち検査(Inspection)と修繕(Repair)を基盤とし、現場で工夫しながら実行していくという取り組みが、20年前のヨートン工場と同様に十分に実践されていないという現実があったのです。
「自分でできる」メンテナンス体系の構築へ
そこで高松さんが導入したのが、「与えられたマニュアルを守ること」ではなく、現地の技術水準と実情に即し、自ら実行できるメンテナンス体系の再構築でした。
この方針のもと、高松さんは鉄道運輸大臣や国鉄総裁の同意を得て、現地技術者が主体となってマニュアルを作成できるよう支援を行いました。そして05年、そのマニュアルは完成します。以後、現場ではこれに基づく保守運用が定着していきました。
結果は明白でした。50%以上に達していた故障率は、わずか5〜7%程度にまで低減。保守体制の実効性は飛躍的に向上したのです。それは、ミャンマー国鉄におけるメンテナンスの歴史を変えた転換点となりました。これらの気動車に対するメンテナンス教育は、後に体系的に整備され、完結されています。
2010年、ミャンマーでは30年ぶりとなる総選挙が実施されました。翌11年には民政移管が行われ、新たな政府が誕生。アメリカによる経済制裁も段階的に解除され、ミャンマーには世界中から注目が集まり、本格的な投資が始まります。こうした流れの中で、ミャンマー国鉄を取り巻く状況も新たな局面を迎えました。
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【中国側の驚き】
