悩みの種となっている問題が、自分では十分にコントロールできないものである場合(たとえば、足を骨折したような場合)、状況をポジティブな視点から捉え直すことが役に立つ。
しかし、ストレスの原因がコントロールの及ぶものである場合(たとえば、パートナーがまた浮気をしたとか、労働環境が劣悪だとかいった場合)、明るい面を探すことはむしろ有害であり、鬱状態の悪化が予想される。
不実なパートナーと別れたり、やる気を失わせる仕事を辞めたりするなどして問題を解決できる場合、ネガティブな感情をポジティブな感情に変えてしまえば、苦しみが長引くことになりかねない。
ほとんどの人は、喜びや興奮といった感情を心ゆくまで味わうのに対し、恐怖や恥といったネガティブな感情はどうにかして避けようとするのが普通だ。こうした観点からすると、ネガティブな感情は悪者なのだから、それらを完全に回避することが幸福と成功の鍵だと信じてしまいやすい。
ところが実際には、われわれの感情はすべて、人生における中心的な適応特性〔訳注 環境に適応するために進化した性質〕なのである。
感情は良いものでも悪いものでもない
感情は良いものでも悪いものでもなく、単なる情報に過ぎない。怒り、悲しみ、罪悪感、悲嘆、その他多くの「ネガティブ」な感情は、適度に経験されるかぎり、われわれの人生にとって不可欠なものだ。
最高の人生を送るためにはネガティブな感情を排除する必要があるという絶対主義的な考え方は、危険な俗説である。われわれの感情はどれも、たとえそれを感じる瞬間は不快であっても、進化と経験によって形づくられた力強い知恵を含んでいる。
ネガティブな感情とは、進化の過程で生理機能というハードウェアに保存された、きわめて洗練された一連のソフトウェアプログラムであり、われわれの目標達成を助けるものと考えればいい。
では、誰もが「嫌な感じ」のスケープゴートとして好んで挙げる「不安」について考えてみよう。
