かつて、ホンダは「ワイガヤ」という、本音をぶつけ合って真摯に語り合う文化があることを誇りにしていたが、私は当時から、それに疑問を持っていた。ホンダはいいときには、これが良い効果をもたらしたのであろうが、本当に真摯な議論が必要なのは、危機のときであり、決断が必要なときである。
そのときには、ワイガヤではだめで、意見をぶつけ合うのではなく、静かに、意見を組み立ていくような姿勢が必要だ。さらに、最重要なのは、最後は、大きな決断を、誰か個人が行う、ということである。ワイガヤしていい議論ができたね、ではまったくダメで、結論を出し、それに個人が(多くの場合トップが)責任を取る、ということである。
日本には、歴史上、独裁者がいたことがない、という世界にまれにみる特徴があるが、これが悪く出て、トップは事後責任を取らされるが、事前に決断をすることが容易に許されない、という土壌がある。決断したトップを議論に加わったメンバーが全員で支えるという構図はまるでない。これでは、組織としても社会としても決断はまったくできない。
日本の組織がダメなのは建設的な議論ができないから?
日本はチームプレイが得意だから、組織的動きが優れている、という誤解があるが、正反対である。日本の組織はほぼすべて駄目である。日本のチームワークとは、横だけの連携である。サッカーチームでもキャプテンを中心にまとまることはできるが、監督は阻害され孤立するか、独裁者になるか、どちらかしかない。ヒエラルキーに関しては、まるでダメなのである。
なぜ日本の組織がダメなのかをずっと考えてきたが、今回発見したのが、「議論を尽くして、トップが決める、ということができない」、という事実だ。つまり、トップに決断力がないのは、あるいはトップが決断するのが許されないのは、その前段階の、建設的に議論を行う、ということができないからではないか。
政治の世界で「日本では政党政治が成立しない。それはリーダーシップがないからというよりも、フォロワーシップがないからだ」という説をよく聞く。
日本では、衆議院議員はみな一国一城の主で、全員がお殿様、全員が未来の総理候補であって、組織として政党が動かない、ということである。だから、つねにバラバラで、政権維持、与党維持のための結束はできるが、あとは何もまとまれない、ということである。
これは徳川幕府が作り上げた仕組みが根付いてしまったのか、日本のそのような社会特性を理解した、絶妙な政治体制だったのか、おそらく双方向であったと思うが、その伝統はまったく消えていない。それは、どの組織でもそうで、ホールディングス経営、M&A後の統合がうまくいかないのも、同じ理由である。





















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