「信長を2度裏切るも首を落とされなかった男」大河ドラマ「豊臣兄弟!」でも大暴れ?信長も呆れた松永久秀の罪

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大和郡山城
大和郡山城(写真:m.Taira / PIXTA)
天下人となる兄を支えた弟の豊臣秀長にスポットライトをあてた、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。豊臣秀長は、豊臣政権内ではトップリーダーである秀吉と家臣たちとのよき橋渡しとなりながら、対外的には兄の代わりに有力な戦国大名たちと渡り合うこともあった。その働きぶりから「理想のナンバー2」とも評されるが、一体どんな人物だったのか。連載「秀吉を天下人にした男、豊臣秀長の実像」の第13回では、織田信長に仕えながらも、2度も裏切った松永久秀について『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』の著者・真山知幸氏が解説する。
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信長もあきれた「天下の大罪」三冠王

「魔王」と恐れられた、戦国の暴君・織田信長。その信長から、こう言われた男がいる。

「この老人は、常人にはできない、天下の大罪を3つも犯した」

老人とは、戦国武将・松永久秀(弾正)のこと。徳川家康に対して、信長はそんなふうに久秀を紹介したという。常識外の信長をして、そう言わしめた久秀は、どんな人物だったのだろうか。

久秀は、畿内などを支配した三好長慶に仕えて、重臣として活躍。信貴山城を居城として、大和を支配した。永禄4(1561)年には、現在の奈良市に多聞山城を築く。

やがて、三好一族に不幸が次々と降りかかる。

長慶の弟、十河一存(そごうかずまさ)が永禄4(1561)年に病死、翌年には、同じく弟の三好実休が戦死。さらに永禄6(1563)年、長慶の嫡男である三好義興も病に倒れて、22歳の若さで病死している。

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