一時劣勢に追い込まれた久秀だったが、永禄10(1567)年に東大寺に集まっていた三人衆を攻め破った。そのときに、戦火で大仏を全焼させている。
冒頭、信長が述べた「久秀の3つの大罪」というのは、①主君である三好長慶を死に追いやったこと、②第13代将軍・足利義輝を殺したこと、そして、③大仏殿を焼失させたこと、を指している。あの信長が呆れるほどの暴走ぶりだった。
信長を2度裏切って「平蜘蛛」を叩き割り自害
三好三人衆を破った久秀は、やがて信長、足利義昭と同盟を結ぶ。そして、2人の後ろ盾を利用して、勢力を拡大。実質上、信長の臣下になった。
しかし、元亀3(1572)年、久秀は信長に反旗を翻す。三好義継や三人衆とともに、信長に一戦を挑むが、破れて降伏。刀などを献上し、なんとか許しをもらっている。
あの信長が、自分を裏切った人間を許すのは意外だが、久秀の実力を評価してか、命まではとらなかった。
しかし、久秀は性懲りもなく、またもや信長を裏切っている。天正5(1577)年、石山本願寺攻めの最中、久秀はいきなり戦線を離脱すると、居城の信貴山城に立てこもってしまう。激怒した信長は4万の兵を久秀に差し向け、8000の兵しかいない久秀を圧倒した。
このときに、信長は、茶の名器である「古天明平蜘蛛(こてんみょうひらぐも)」を差し出せば許す、と言ったという。2度目の裏切りにもかかわらず、まだ条件付きで信長が許そうとしたのは、自分以上に破天荒な久秀にひかれるものがあり、本当は久秀を殺したくなかったのかもしれない。





















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