だが、久秀は信長の提案も拒否。こう言い放ったという。
「我々の首と平蜘蛛は、信長公にお目にかけぬ。鉄砲の薬で粉々にしよう」
『多聞院日記』によると、久秀は平蜘蛛を叩き割って天守に火を放つと、自害したという。
大和国の支配権は豊臣秀長へと
久秀の最期について、よく知られているのは「平蜘蛛に火薬をつめて爆死した」というもの。豊臣秀吉の逸話集である『川角太閤記』に「久秀の首と平蜘蛛が鉄砲の火薬で木っ端みじんに砕かれた」と記載されているところから、流布したようだ。
そんなことさえやりかねない人物だから、噂も広がりやすかったのだろう。予測不可能の破壊王、それが、松永久秀だった。
久秀の死後、長年対立していた筒井順慶が大和国の支配権を掌握。天正11(1583)年に大和郡山城を完成させた。だが、その翌年に36歳という若さで病死してしまう。
そこで天正13(1585)年に、大和国を任されることになったのが、豊臣秀吉の弟・豊臣秀長である。
天正15(1587)年には、権大納言の官職を授けられる。以後「大和大納言」と称された秀長は、大和の統治において、経済的なセンスを発揮。大和郡山を商業の中心地として栄えさせることになる。
【参考文献】
杉山博編『多聞院日記索引』(角川書店)
ルイス・フロイス著、松田毅一・川崎桃太訳『完訳フロイス日本史』(中公文庫)
金松誠著『松永久秀 シリーズ・実像に迫る』(戎光祥出版)
竹内理三編『史料大成多聞院日記〈全5巻〉』(臨川書店)
太田牛一著、中川太古訳『現代語訳 信長公記』(新人物文庫)
河内将芳著『図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石』(戎光祥出版)
真山知幸著『戦国最高のNo.2 豊臣秀長の人生と絆』(日本能率協会マネジメントセンター)
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