「ランチタイムなのに客が来ない…朝を早めるか」→気づけば《早朝6時》からの営業に!目黒の行列ラーメン店が”昼夜逆転生活”で開いた光明

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家でも喜多方ラーメンの袋麺を朝から食べていたという。たまに喜多方に行っては「坂内食堂」など朝からやっているお店でラーメンをよく食べていた。

上京し、テレビの大道具の仕事をしていた。フジテレビ「笑う犬の生活」の仕事で売れっ子のお笑い芸人たちを見て、「タレントっていい仕事だな」と思い自分も芸人を目指すことにする。20歳の頃、NSC(吉本総合芸能学院)に9期生として入学するが、1年で退学となり、フリーター生活になる。

この頃、池袋の人気店「えるびす」で働き始める。塩ラーメンの超人気店としてメディアにもたくさん出ていたお店で、厳しかったが時給もよく、ラーメン店の楽しさを知った。その後「麺屋武蔵 二天」「一蘭」と渡り歩き、最終的に「すごい煮干しラーメン 凪」にたどり着く。

その頃には、芸人の夢を諦めきれずもう一度NSCの門を叩く。15期生の「初代えーいち」として再び芸人の道をスタートした。

ラーメンのほうは「凪」で修業後、知人の紹介で徳島に行き、名店「西食」で働く。1カ月に一度東京に戻ってきてお笑いのライブをこなしながら、1年間徳島ラーメンを学んだ。

一度は諦めることになったラーメンの道

調理中の栄市さん(筆者撮影)

その後東京に戻り、友人から「ラーメン屋を一緒にやらないか」と誘われ、ここから芸人を辞めてラーメン一本で生きていくことを決意する。

開業資金を貯めるために建築の仕事を始めるが、一緒にお店をやるはずだった友人の事情で、ラーメンの道は諦めることになってしまった。

この先がわからなくなった栄市さんだったが、ここで、「凪」の大将・生田悟志さんから連絡が入る。「知人のラーメン店の手伝いにボストンに行ってくれないか」という誘いだった。

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