「こども食堂から一線を引く」 《こども食堂》の名付け親が決意した背景 ボランティアでできる支援には限界がある

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――そもそも「だんだん こども食堂」をなぜ始めようと思ったのでしょうか。

私の本職は歯科衛生士です。結婚後、大田区に住み始めました。「歯と健康と食」に関心があったことと、家庭の都合で正規の勤務からパートに変わったことで、「気まぐれ八百屋だんだん」を始めようと思いました。

こども食堂 近藤博子
気まぐれ八百屋だんだん(写真:近藤さん提供)

買い物に来る人たちと、身の上話やいろいろな話をしているうちに、「気まぐれ八百屋だんだん」は大人や子どもの拠り所のようになり、民間の文化センターみたいになりました。

その一方、地域にお腹をすかしている子どもや本当に困っている人がいることもわかってきました。

2010年には近所の小学校の副校長が店に買い物に来て、ある児童の母親に精神的な不調があり、その子は学校給食以外は1日にバナナを1本しか食べていないという話を聞きました。

先生と、その子とこの店で食事ができたらいいねという話になり、地元の知人たちに声をかけて、「子どもが1人で入っても怪しまれない食堂」というコンセプトで「こども食堂」を始めました。その児童は、施設に行ってしまいましたが。

最初は、あくまでも子どもと一緒に食べられる場所ということで、支援が目的ではありませんでした。状況が変わったのはコロナの時期を通してです。

大変な人のために何かするという雰囲気が急に社会に広がった。国からもそういう活動に一時支援の助成金が出るようになりました。皆がそちらに向かって活動の舵を切ったという感じです。

こども食堂の基盤は脆弱

――こども食堂は急増しました。なぜだと思いますか?

食事を作って一緒に食べる、お弁当にして渡すというのは始めやすいのだと思います。それから、お腹をすかしている子どもがこんなにいると思わなかったということもあると思います。子どもたちのために何かをやりたいと思う人がたくさんいるということでもあるのかもしれません。

ただ、こども食堂の基盤は脆弱です。お金にも人にも困らないところはごくわずかです。こども食堂の助成金もありますが、1万カ所もあると、なかなかの競争率です。

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