この勢いはどのようにして強化することができるのでしょうか。この点で多くのヒントを与えてくれるのが兵法として有名な「孫子」です。孫子もまたこの老子の思想を受け継ぎ、無為による勝利を主張しています。たとえば孫子の形篇では、次のように述べています。
つまり、ダムのように水をせき止める積水こそが勢いの源泉であり、その勢いを解き放つことで勝利することができるのです。孫子は勢篇では次のように続けています。
つまり、積水(積水化学の社名はここから来ているようです)から水を放流し、その勢いで相手を圧倒する。あるいは、山頂から岩を転がすことで勢いを生み出していく。老子の説く聖人とは、このように積水や山の頂上から岩を転がすことによって敵に勝つ者のことを指します。
これは、ギリシャ神話にみられる超人とは対照的です。この超人は巨大な岩を超人的な力で山の麓から山頂へと運び上げます。一方、老子の聖人は、山の頂上から岩を転がします。かれに必要なのは、ただ岩を後押しするだけにすぎません。
中国思想では苦難の克服が称賛されない
もちろん、いつも積水が利用可能なわけではなく、山頂に岩が準備されているわけではありません。重要なのは、「孫子」が説くように、積水や山頂という「形」を準備することです。
この「形」を整えることこそが老子の説くリーダーの仕事であり、形が整備されれば、あとは山頂から岩を一押しして転がすだけになります。それは決してギリシャ神話の超人のような神業ではありません。むしろ、だれでもできる容易な仕事です。
そして、一度、岩が転がり出し、水が流れ出せば、あとはその推移を見守るだけになります。ここで下手に手を出すことはしません。無為とは「何もしない」ということではない、と言いましたが、この段階、すなわち、中流ないしは下流の段階では、リーダーは何もすることはありません。ここでは勢いにしたがう無為は、不作為と同じことになります。
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