「築地は外国人が占拠!?」場外の“離れ”にあった日本人向け穴場では別世界が広がっていた

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かん乃
海鮮丼の宝庫「かんの」(筆者撮影)

平日でも世界各国からやって来た観光客でごった返す東京・築地。2018年に中央市場が豊洲に移転、コロナ禍の苦難の時期を乗り越え、「場外」には今、鮮魚店、飲食店など400以上の店が立ち並ぶ。この地にあった夕刊紙に30年間勤めた筆者が見続けてきた街の変貌と、外国人観光客らで混沌とする街のひとつの楽しみ方をお伝えしよう。

筆者が築地3丁目にあった会社に勤め始めた1980年代前半、築地はプロの市場関係者と食の通たちが存在する街だった。観光客の姿は日本人も外国人もほとんど見当たらなかった。そんな時代のエピソードから物語を始めたい。

新大橋通り沿いにある大手新聞社の向かい側に数軒の屋台が立ち並んでいた。夜中の1時過ぎに仕事を終えると、先輩のデスクに連れられてこの屋台に向かい、新鮮な刺身を肴に冷たいビールや熱燗で反省会を行うのが恒例行事だった。

築地市場が豊洲に移転する前は、場内に魚料理の店や寿司屋、さらには喫茶店などが立ち並び、市場関係者やメディア関係者、ホステスさんやママを連れた銀座帰りの遊び人などがプロの味を堪能していた。今となっては懐かしい光景である。吉野家の1号店ができたのも築地の場内だった。今から60年以上も前の1959(昭和34)年のことである。

時代は令和に飛ぶ。3月上旬の平日、夕刊紙時代の後輩2人と12時に築地本願寺前で待ち合わせた。会社を退いて12年あまり。50代の後輩は初の女性局長、もう1人、40代の女性も部長となって活躍中である。3人組は築地4丁目交差点からもんぜき通り(新大橋通り)を、かつての市場方面に向かって進んだ。

いちご飴に興味津々の女性客

「近富」「又こいや」「かんの」……懐かしい店が並ぶ。幅2メートルほどの歩道はすでに外国人でいっぱいだ。若い欧州系の女性客2人組がウインドウ内に並ぶいちご飴(串に3個で500円)を食い入るように見つめている。いちごホイップ、ゆず、黒胡麻などの大福は6個で1500円。こちらはやや年配の女性客が買うかどうか判断中だ。

いちご飴を物色する外国人客(筆者撮影)
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山田 稔 ジャーナリスト

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やまだ みのる / Minoru Yamada

1960年生まれ。長野県出身。立命館大学卒業。日刊ゲンダイ編集部長、広告局次長を経て独立。編集工房レーヴ代表。経済、社会、地方関連記事を執筆。雑誌『ベストカー』に「数字の向こう側」を連載中。『酒と温泉を楽しむ!「B級」山歩き』『分煙社会のススメ。』(日本図書館協会選定図書)『驚きの日本一が「ふるさと」にあった』などの著作がある。編集工房レーヴのブログでは、最新の病状などを掲載中。最新刊は『60歳からの山と温泉』(世界書院)。

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