軍用線だった「新京成電鉄」その痕跡と当時の記録 京成電鉄と合併、4月から「京成松戸線」に変更
車両は同社オリジナル形式が大半を占めていたが、最近は親会社の京成電鉄と同タイプの新型車両が導入されている。長らくアイボリーにブラウンの細帯を巻いたカラーリングの車両を運行していたが、コーポレートカラーであるジェントルピンクを基調としたものに2014年6月1日に変更した。「ピンク」を基調とした鉄道車両は珍しく、沿線利用者からも好感度が高く、このカラーリングは駅構内の案内板や、ホーム番線表示などにも多く用いられている。
そもそも新京成電鉄が運行を始めた経緯だが、これが面白い。戦前に、鉄道連隊演習線(旧・日本陸軍鉄道連隊松戸線)として建設された敷地を、戦後に再利用していることに由来する。
旧陸軍の演習線「軍用鉄道松戸線」と呼ばれ、津田沼を起点に、松戸までの本線と、工兵学校から矢切付近までなどの支線が存在していた。
陸軍の演習用線路だったので急カーブが多い
新京成電鉄は急なカーブが多いことで知られる。陸軍・演習線用地の大部分を転用しているためである。演習線では当時の陸軍の規定によって、1つの鉄道連隊において45㎞の運転区間が必要であり、限られた用地の中でできるだけ距離を長くしたことや運転の腕を磨くための訓練といった理由があったようだ。
戦後旅客用に転用した際に、急カーブを修正した部分もあるが、その基本となっているルートは、鉄道連隊時代の線路である。
1928年から1932年にかけて鉄道連隊が建設したのは、(軍用)津田沼駅から陸軍八柱演習場までと、工兵学校から陣ヶ前(現在の千葉大東側付近)に至る支線の一部である。それに先立って、陸軍の工兵学校は、1924年に機材や資材を運搬するための軽便鉄道を、学校のある相模台(現在の松戸駅東側付近)から陸軍八柱演習場まで建設した。
軍用鉄道であったがゆえに、全線開業の正式な記録は残っていないようだが、この鉄道では、タンク式の小型蒸気機関車が使われており、貨物用のトロッコ式貨車が運用されていたという。
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