「ただ泣くしか…」うつ病になった精神科医の葛藤 がんばるほど無力感だけが大きくなっていった

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それからは、ほとんどの時間をベッドの上で過ごす毎日。1日15時間以上は寝ていたでしょう。起きていると嫌でも現実を見ることになるため、眠気がなくても目をつぶっていました。そんな半醒半睡の世界で、最初の1カ月を過ごしたのです。

しかし、だんだんとぼんやり寝ていることすらも苦痛になってきます。私は、ずっと電源を切ったままにしていたスマホを久々に開きました。そして、今まで使っていたFacebookやTwitter(現X)など、すべてのSNSを削除しました。

SNSだけではありません。友人のアドレスや電話番号も削除していきました。ただただ、世界から自分の存在を消したかったのです。

回復の足を引っ張ったのは「両親の愛」

誰からも連絡が来ないスマホ、誰ともつながれないスマホは、私の心を少しだけ癒やしてくれました。

休職3カ月目には、通院以外に散歩もできるほどに回復の兆しを見せていたのですが、街に出た私を待っていたのは、絶望でした。

世間はクリスマスに差し掛かろうとしていた時期。「幸せそうな人々」であふれる「希望に満ちた世界」が広がっていました。それに反して、「今後の人生をどうやって生きていこう」という問題がまったく解決していない自分とのギャップに、悩まされてしまったのです。

追い打ちをかけたのが、家族でした。家族は毎日外出している私を見て安堵し、復職することを勧めてきたのです。

職場で刺激を受けたほうが、うつ病の回復につながるだろうと考えての助言だとわかっています。しかし、体は回復してきても、心はまだ前向きにはなれていませんでした。

先のことを考える余裕はなく、医師を辞めることも真剣に考えていました。失敗を許せない私には、医師は続けられないと思えたのです。

親との意見の食い違いから衝突することが増え、再び調子を崩し始めてしまった私は、通院もサボるようになり、再び引きこもりの生活に戻ってしまいました。

家族との確執から、第二次引きこもり生活がスタート。

精神的には不調だった一方、体は順調に快方に向かっていました。

「体調の治し方はわかったから、次は思考を治そう」。そう思い至ると、目の前のモヤが少し晴れた気がしました。

まず私がやったのは、古今東西の思想家の言葉を読むことでした。一番心を打ったのは仏教の教えです。「自分だけ大事にしようとすると、怒りや悲しみがわいてくる」「独り去りて、独り来たる(人は誰でも1人で生まれて、1人で去っていく)」。そんな言葉が、次々と私の心に刺さりました。

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