「ただ泣くしか…」うつ病になった精神科医の葛藤 がんばるほど無力感だけが大きくなっていった

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もともとプライドが高いせいもあって、理想と現実のギャップに苦しみました。看護師さんとの歴然とした知識量の差を目の当たりにし、「医師国家試験のために学んだことは、現場でほとんど役に立たない」という無力さに打ちのめされたのです。

実力の差をうめるために、私はがむしゃらに「がんばり」ました。毎日深夜まで働き、休日にも出勤していました。その時に、実力がついてきた実感を少しでも得られればよかったのですが、がんばればがんばるほど無力感だけが大きくなっていったのです。

そして、それは確実に私の心をむしばんでいきました。

最初に異変を感じたのは、初めて当直業務に入った時でした。当直とは、日勤を終えたのちに夜勤を行うこと。夜勤の翌日には通常の日勤を行うため、合計32時間の労働となります。

私は睡眠不足になると、仕事の能率が驚くほど落ちてしまいます。終わらない仕事の前で、思考が停止してしまうことも度々ありました。その頃から、仕事から帰るとすぐに寝室へ。休日に家を出るのも億劫になり、仕事以外は家で倒れるように眠る生活になりました。

気持ちも沈み込むようになり、以前は楽しめていた友人との会話にもまるで興味がなくなってしまいました。ついに、寝たきりの体勢からまったく動くことができなくなってしまいました。

仕事は無断欠勤。心配した上司から電話がかかってきましたが、「ああ……」とか、「ううーっ」とか、言葉にならない状態でした。嗚咽の声が上司に伝わり、すべてを察した上司が「今日は休みなさい」と言ってくれたのです。

それまでどうにか保ってきた心の糸が、ぷつんと切れてしまい、私はただ泣くことしかできませんでした。

うつ病が進むと寝ているだけでも苦痛

休職を願い出た私は、勤務先の病院から診断書の提出を求められ、精神科を受診しました。精神科志望の研修医が精神科を受診するなど、ジョークのようかもしれませんが、その時は笑う余裕などまったくありません。

精神科の診察室でも私は黙っていました。母が経緯、症状を説明してくれましたが、それを他人事のように聞いていたのを覚えています。最後に医師から「診断はなんだと思う?」と尋ねられ、「うつ病だと思います」と私は力無く答えました。

医師の同意をもって、私は正式に「うつ病」と診断されたのです。

実家に帰って療養を行うことになりましたが、うつ病の診断書を職場に送らなければなりません。プライドが高く、失敗を認められない性格だった私は、診断書をポストに入れた時の「カタン」という音が、自分の人生の終わりを告げる音のように聞こえました。

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