森永卓郎「貯金は生活費の3年分あれば十分」の真意 最期まで説いた"お金に縛られない人生"の価値

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だが、私は自分の論説を歪めることができない。だから、常に訴訟を起こされたときに備えて、お金を用意しておかなければならないのだ。

お金を貯めたら「やりたくない仕事」の切り捨てに進む

私はお金が好きで、もっとお金が欲しいからお金を貯めてきたのではない。自分の自由を守るためにお金を貯めてきたのだ。もちろん、そうだからこそ、無限にお金を貯める必要などない。

世の富裕層は、「お金中毒」にかかっていることが多い。10億円持っていたら、それを翌年20億円にしようとする。20億円を手に入れたら、それを100億円に、100億円持ったら、今度はそれを1000億円にしようとする。
一般的に1億円貯めたら、一生稼ぐ必要がなくなる。10億円あったら子どもたちの代まで、100億円あったら孫の代まで、勤労の義務から解放される。ところが、お金中毒の人たちは、使うあてのないレベルまで、お金を増やそうとするのだ。

それでは、生きていくために、どのくらいのお金があれば十分なのか。

私が昔から言っているのは、「生活費の3年分」だ。何かあって収入が途絶えたとき、3年分の生活が保障されていれば安心だからだ。

3年あれば、その間に別の仕事を探したり、別の場所に引っ越したりして、新しい暮らしを始めることができる。そうした「緩衝材」としての役割を果たすのが貯金なのだと、私は考えている。

ちなみに、この「3年分」のポイントは、収入の3年分ではなく生活費の3年分ということだ。

だから普段から節約を進めて、基礎消費(衣食住の費用など所得に関係なく日常生活で最低限必要な支出)を下げておけば、必要な貯蓄も、それに応じて小さくなる。年間100万円で暮らせる人なら、必要な貯蓄は、たった300万円でよいことになる。

それでは、必要な貯蓄を確保したあとは、どうすればよいのか。

よく聞く話は、「その分は自己投資に振り向けなさい」というものだ。私は、そうした考えが好きではない。それは、自己投資という言葉のなかに「もっと稼いでやろう」という“野心”が隠されているからだ。

そうではなく、必要な貯蓄を確保したら、その後は、やりたくないほうから順番に、「カネを稼ぐための仕事」を切り捨てていけばよい。

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