森永卓郎「貯金は生活費の3年分あれば十分」の真意 最期まで説いた"お金に縛られない人生"の価値
当時の物価は、いまとさほど変わらないから、親子3人で月額6万円台の手取り収入では、なかなか暮らせない。そこで私がとった対策が、徹底的な節約と物書きのアルバイトを始めることだった。
その後、物書きのアルバイトが順調に増えていったため、わが家の極貧状態は、1、2年で解消したのだが、私が節約の手綱を緩めることはなかった。それは、お金に縛られる人生を避けるためだったのだ。
人生のさまざまなリスクを回避する
お金がないと、どうしてもお金を稼ぐために自分の信条を曲げざるを得ない事態に追い込まれてしまう。
たとえば、消費者の健康に深刻な被害を及ぼすような製品を販売してしまったり、粉飾決算をしたりといった「企業犯罪」に手を染めるサラリーマンがたくさんいる。
彼らの大半は、根っからの悪人というわけではない。ただ、収入を失うことが怖くて、家族の生活を守るため、悪いことだとわかっていながら、企業犯罪をやめられないのだ。
そこまで深刻でないにしても、上司から理不尽な命令がなされることなど、日常茶飯事だ。そうしたときに、お金がなかったら、黙って言うことを聞く以外に選択肢はない。
だが、ある程度のお金を持っていて当面の暮らしに不安がなければ、辞表を叩きつけるという選択肢を持つことができるのだ。
それだけではない。人生にはさまざまなリスクが襲ってくる。
親の介護をしなければならなくなる、交通事故を起こしてしまった、新しい技術を身につけるために留学が必要になった、などといったさまざまな事情で、お金が必要になる場面がやってくるのだ。
これは私だけの特殊事情だろうが、権力者を批判すると、スラップ訴訟に巻き込まれることもある。スラップ訴訟というのは、批判した相手から濡れ衣の容疑で民事裁判を起こされることだ。私は数回巻き込まれた。
もちろん、でたらめなことは言っていないので、敗訴したことは1回もないが、一たび裁判を起こされると、弁護士費用などで1000万円程度の負担が避けられなくなる。そうした事態を回避しようと思ったら、権力者に逆らわない評論を続けるしかない。私の周りの評論家は、そうした選択をする人が圧倒的に多い。
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