年収は1/3に「それでも名物DがTBSを辞めた」理由 大前プジョルジョ健太さんが辿る「奇異な人生」
「結局、彼女が『日本が嫌になった』とイギリスに移住してしまって。僕も会社を辞めてついていこうと思い、上司に相談までしたのですが、『彼女についてくる男なんていらない』とフラれてしまいました」
なかなか強烈なエピソードばかり出てくる。幼少期から現在に至るまで、大前さんは仕事でも私生活でも一般にはマジョリティーとはいえない人々と出逢い続けている。自ら進んでそういった人と繋がろうとしているのか、それとも自分自身も「同じ」だという共感があるからなのか。
「僕は自分自身をマイノリティーと思ったことはないのですが……。いやでも、思い返せば、母親がインドネシア人なのですが、ずっと『お前は普通の日本人と同じことをやっても勝てない。だから強く生きろ』と言われて育ちました。少年時代には肌の色が他の子と違うなと思うこともありました。
家庭環境もややこしくて、父親は無職だったり、姉が結婚詐欺に遭ったり……。そういった環境にいたので、生きづらさを抱えている人にシンパシーを感じているのかもしれません」
「何者かになりたい」と転職していった同期たち
2022年、大前さんが企画・総合演出を務めた『不夜城はなぜ回る』がヒットしたことにより、2023年1月度ギャラクシー賞を受賞。ディレクターとしての才能が評価され、乗りに乗っていたはずだが、彼の心中はある不安が襲っていた。
「当時28歳だったんですけど『本当にこのままでいいのか』という不安が芽生えてきて……。皆さんも考えたことがあるかと思うのですが、『何者かになりたい』って。20代後半になるとそう考えるようになるんですかね」
人生の4分の1を過ぎた20代後半から30代が陥りがちな、漠然とした不安や焦りを抱える時期のことを「クォーターライフ・クライシス」と形容されるが、大前さんも深く考え込んでしまった。
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