年収は1/3に「それでも名物DがTBSを辞めた」理由 大前プジョルジョ健太さんが辿る「奇異な人生」

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そんな彼が学生時代に夢中で見ていた番組がある。

「『万年B組ヒムケン先生』(2016年4月から2017年3月までTBS系で放送されたバナナマン日村勇紀さんがメインを務めた深夜番組)が大好きでした。この番組を見てTBSに入ろうと本気で思いました。

“光の当たらない人”にフォーカスする内容で、少し変わっている人たちがたくさん登場するんです。そんな人たちを日村さんが優しくいじりながら、その人の本質をきちんと丁寧に拾いバラエティー番組として映像表現していて、自分もこんな番組を作りたいなと思いました」

2018年、大学を卒業した大前さんは、なんとその『万年B組ヒムケン先生』を制作したTBSに入社。ものすごい倍率を突破して内定を掴んだわけだが、彼を奮い立たせた理由はもう1つあった。

「実は好きな女の子がアナウンサーを目指していて、その子に振り向いてもらうためにテレビ局に入ろうと思ったんです。花火大会で一目惚れしまして(笑)。結局、成就はしなかったのですが」

「生きづらさ」を抱えている人にシンパシーを感じる

TBSに入社した大前さんは、まず『あさチャン!』などの情報番組を1年間担当した後に、報道局経済部に記者として異動した。当時はコロナ禍真っ只中。TBSでもあらゆる感染防止策を講じている中で記者として過ごしていた大前さんだが……。

大前さん
TBS時代、『不夜城はなぜ回る』のデスクはたった1席。少数精鋭で制作していた(写真:大前さん提供)

「2年くらい同棲していた当時の彼女が“反ワク(ワクチン反対派)”だったんです。『もしコロナワクチンを打ったら絶対に結婚しない』と言われ、それを守っていました。家では『マスクをつけるな』と言われるので、最寄り駅と自宅までの間ではつけないようにして、外でマスクをつけていることは隠していましたね……。いちばん困ったのは、彼女が『テレビは終わっている』と言うようになって、テレビ局の記者なのに自宅でテレビを観られなくなったことでした」

それでも彼女のことが心底好きだったので別れようとは思わなかった。それどころか、彼女のために会社を辞めるべきか迷ったという。しかし、複数のワンルームマンション投資を契約しており、借金が7000万円ほどあったため、収入が減ってしまうことは避けたかった。

【2025年1月30日10時55分追記】上記のワンルームマンション投資について、「学生時代から」というのは誤りでした。お詫びして修正致します。

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