「わしは学問もあまりないし、そのうえ体も弱かった。そういう点では、たいていの部下より劣っている。そのようなわしが、ともかくも大勢の人の上に立ち、経営にそれなりの成功を治めることができたのは、一(いつ)にかかって熱意にあったと思う。
この会社を経営していこうという点については、自分が誰よりも熱意を持たなくてはいけない、それが自分にとっていちばん大事なことだ、と、いつも心掛けてきた」
もし、少々知識が乏しく、才能に乏しい点があっても、強い熱意があれば、その姿を見て多くの人が協力してくれるようになる。「あの人は熱心にやっているのだから、同じことであれば、あの人から買ってあげよう」「あの人が気がついていないようだから、これをひとつ教えてあげよう」と、目に見えない加勢が自然に生まれてくる。熱心さは周囲の人を引きつけ、周囲の情勢を大きく動かしていく。
熱意があれば、困難な状況にも立ち向かえる
たとえば、なんとしてでもこの2階に上がりたいという熱意があれば、ハシゴというものを考えつく。ところが、ただなんとなく上がってみたいなあと思うぐらいでは、ハシゴを考えだすところまでいかない。「どうしても、なんとしてでも上がりたい。自分の唯一の目的は2階に上がることだ」というくらいの熱意のある人が、ハシゴを考えつくのである。
いくら才能があっても、それほど2階に上がりたいと思っていなければ、ハシゴを考えだすところまではいかない。ぜひともやってみたいという熱意があればこそ、その人の才能や知識が十分に生きてくる。何をなすべきかが次々と考えが浮かんでくる。最近の研究によれば、人間の一生で脳は、ほんの10%も使われていないのだという。だとすれば、その限りない潜在能力を引き出すのもまた、熱意である。
だから、もし望んでいることがうまくいかないのならば、ひるがえって、ほんとうの熱意を、自分が持っているのかを考えてみる必要がある。
はたして、自分の熱意が本物であるかどうか。成功と失敗の分岐点は、そこに尽きるのだとさえ言っていいと思う。仕事を成功させたい、発展させたいという燃えるような情熱があれば、おのずと成功の知恵が見つかるものである。
困難に直面したとき、私は次のような松下の言葉を思い出す。
「世間は誰ひとりとして、きみの成功を邪魔したりせんよ。やれないというのは、外部の事情というよりも、自分自身に原因があるものなんや。外部のせいではない、理由は自分にあるんだということを、つねに心しておく必要があるな」
松下は能力を、あまり重視していなかった、と言っていいかもしれない。それほどに、人材を起用するときは能力よりもむしろ、その人に熱意があるかどうか、体にみなぎるほどの正しい熱意があるかどうかを、判断の基準にしていた。能力というのは、誰でもそう差があるものではない、という考え方であった。
「人を起用するときに、能力はだいたい60点ぐらいもあれば十分やね。あとはその人の情熱でいくらでも伸びる。しかし、能力はあるけれども熱意が不十分だということになれば、そういう人をいくら起用してもだめやったな。
熱意があれば必ず事業は成功する。けど、尋常一様な熱意ではあかんで。きっとこの事業を発展させようという、体ごとの、正しい熱意でないとな」
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